シェアしたい旨を話したら、快く了解いただいた。
その方を仮にAさんとする。
Aさんは暴力(力、言葉等何でも)に対して尋常じゃない憎しみをおぼえるという。
全くの他人のことであってもそういった場面に遭遇すると、自分の内側からものすごい憎しみと怒りが込み上げてくるらしい。
しかもAさんが感じる憎しみや怒りは暴力をふるう側とふるわれる側との両方に感じるので、たぶん自分は暴力というもの自体が嫌なのではないかと思うらしいのだ。
スピリチュアルの勉強を始めてからは(引き寄せ)というものを知り、自分自身がそういった場面を引き寄せているようにも感じているという。
近頃は世界のアチラコチラでの紛争が目に入るし、ほんの少しの他人のいざこざまで気になってきて、心が疲れてしまうというのだ。
まずその圧倒的ともいえる怒りの感情はしっかり感じてしまうしかない。
怒りとか憎しみとかの区別もせず、原因を探ることもせずにしっかりと(今ここでこの感覚)をしっかり感じる。
身体のどこかが苦しかったり、呼吸が苦しかったりといろいろな反応が出るかもしれないがしっかりと感じてしまう。
それはほんの数分で終わる。
原因を探したり、何か行動することは効果を半減させてしまうか、全く効果がない。
毎回飽きずにやってくるその感情を、自分のものとして感じ切ってしまう。
それと暴力をふるう側とふるわれる側の両方に怒りや憎しみを感じることに対してAさんは前世が関係していると思っていた。
前世も関係していたが、それよりもAさん自身が今生で暴力をふるわれる側の利得を感じとっていたからだった。
その話題の中で、Aさんは暴力の相談を受けた時の友人の不可解な行動を思い出せたという。
その時は大切な友人だったので、彼女を責めることはしなかったがだんだんと相談を受けるのが苦痛になり疎遠になってしまったことを思い出したというのだ。
Aさんが感じる(引き寄せ)は、自分の投影である世界を使ってエネルギーをできるだけ解放しようとしているからなので、そのことについて考える必要はない。
引き寄せたら感じて、また引き寄せたら感じてだけに集中していれば大丈夫だ。
確かにこの世界はいろいろな理由を掲げて正義を語るが、この二元的世界に本当の正義などない。
誰かにとって都合のいい正義だけで、それは真の正義ではない。
歴史的理由から国が正当性を強調したりするけれど、私たちは前世で憎しみの対象の国に生まれていたかもしれない。
正義のために必要な少しの犠牲と話すけれど、真の神は(正義のための犠牲)なんて創造したりしていない。
私たちはこの二元的世界で悪を相手に絶対的正義の人にはなれない。
いろいろな形で知らない間に誰かを傷つけたり、誰かを助けたりとみんな同じなのだ。
だから感じて解放してしまう。
それは自分のためだ。
(思い)もエネルギーなので、何かに対しての憎しみを持ち続けて解放できないとエネルギーは強く大きくなってしまう。
来世に最も嫌うものに生まれ変われることがないように、どんな感情も誰かのせいにしたり、正当化したりしないで、怖れることなく自分のものとして感じ切ってしまう。
Aさんも感じ切ってしまう方法を試すそうだ。