「惨めさと悔しさが棄てられない。こんな自分自身が嫌で嫌でたまらない。」

という人がいる。

名前は出さないことでシェアしていただいた。

この方はだいぶ内観が進んでいると感じた。

妙な抵抗や行動が自分をどんどん惨めにしていくのがわかって苦しいと言っていた。

そこまで自覚できているのは、だいぶ内観が当たり前になっているからだ。

普通は無意識に他人のせいにしたり、自分の惨めさや悔しさに目を背けて何もなかったようにして気づくことができない。

そしてそのまま、他人を相手に抵抗したり、行動したりしてしまう。

外側にはたらきかけることで、いつしかそれがポジティブだと思い込む。


私も以前はそんなことをやっていた。

自分が不得手なことがわかっているが、一生懸命やっても全くうまくできない、劣等感があるのでどうしてもその部分に触れると大きく反応してしまう。

劣等感を見ないようにしよう❗は通用しない。

苦しいだけだった。


内観が進むと目を背けていられなくなる。

「この苛立ちや惨めさや劣等感は自分の問題でしかない。」

それに気づいたら、今度は惨めさと悔しさを掴まないようにする。

「今、自分は惨めだと感じて苦しいのだ。」

と半分他人事みたいに観察するようにしているとその感情は持続しないことがわかる。

掴まなければ持続しないことを覚えておくようにすると、それは単なる一次的に来ては流れ去るものだと気づく。

目を背けてしまうこととは全く違う。

目を背けてしまうことは、実は掴んでしまうことと同じなのだ。


自分が世界に投影しているものをやり過ごすことはできないのだ。

それをしっかり受け入れて、改めて手放すことが当たり前になってくれば、結局は投影された世界の夢見ていると薄々わかってくる。

この薄々でもかなり楽になってくる。


掴まなければ持続しない。

やがては掴めるものも、掴もうとする私も全部夢だと感じてくる。