昨日、以前講座を受けて下さった方から質問がきた。

テレビでパラレルワールド、タイムスリップのことが放映されていたそうだ。

彼女自身も些細だが同じような経験があるので興味があるとのことだ。

彼女の質問はこうだ。


「テレビで、ある地域で過去にタイムスリップした人たちのことをやっていたのだが、タイムスリップの後も現実でそれを裏付けるようなことまで起こっている。番組ではタイムスリップの検証のようなことをやっていたのだが結局はタイムスリップした過去で出会った人がいたことは証明されなかった。

自分の体験も含めていつかは証明されるのか❓。」


質問が長文だったので重要なことをまとめた。


簡単に答えるとこうだ。

検証がうまくいかないことの方が当たり前なのだ。

私たちはどうしても自分自身は実在していて、時間の経過の中で成長して生きていると考える。

でも実は無限の可能性が全て一瞬にある。

時間に縛られてはいない本質が、体験のために時間という勘違いをしているのだ。

時間などは幻想で、無限の可能性の中からあるひとつの可能性を選んでいるのだ。

でも人はタイムスリップで出会った人も自分と同じ時間経過の中で生きていたはずだから探せば必ずみつかるであろう、みつからなくてもその痕跡はみつかるだろうと想定する。

しかし今の一瞬にある(無限の可能性)の中には、タイムスリップで出会った人の痕跡すらないというバージョンもある。

人の想像などは遥かに超えた無限のものに有限な辻褄合わせをしようとしている、時間的繋がりのないものを拾いあげて、時間というものを使ってそれを繋げようとしている。


タイムスリップで出会った人の痕跡がなく検証が失敗したことはモヤモヤしてしまうかもしれないが、たったひとつの実在、ワンネス、神、源とたくさんの言い方で表される(真実)は、私たちが予想などできないものなのだ。

時間などにも縛られず、想像などははるかに超えたものが私たちの本質だ。


やっと解明できたと思ったらまた疑問がみつかったり、やっと辿り着いたと思ったら次の瞬間には再び不完全な感覚になったりとこの二元的な世界では常にそんなことが繰り返し起こる。

でもその不完全な感覚やモヤモヤ感が少しずつだが、(たったひとつの実在)が想像などは超えた神聖なものであり、自分はそれと繋がっていることに導いてくれる。

何となくモヤモヤしたり、(これであるはずがない)という感覚は深いところで無限で完全なるものを知っている証だ。


辻褄の合わない感覚や体験を解明したい思いや、そして満足しきれないモヤモヤ感は、深いところに惹きつけられながらそこに向かっているのだと思う。


だから、たとえタイムスリップで出会った男性の存在が証明される瞬間がきても、(たったひとつの実在・神・ワンネス・源)は必ずそれを新しい疑問の現れで超えていく。