先日、講座を受講してくれている方から連絡がきた。
ちょっとした連絡の後に嬉しい報告があった。
「どんな感情でも感じることの意味についてやっと輪郭が摑めてきた。あとはこれを一生懸命に続けていく。」
との報告だ。
こんな報告を聞くと私自身も幸せな気持ちになる。
もう20年以上も前になると思うが、チベット仏教やキリスト教やその他いろいろな宗教を少しずつかじったりしていた時期がある。
どこに真実があるのかを知りたくて、目に着くままに飛びついていた。
そこで味わったのは、どの宗教にも疑問が生まれ、同じようにどうしても無視できない聖者の言葉があったというものだった。
チベット仏教では、「この世界は夢か幻のようなものだ」という言葉が忘れられなくなった。
キリスト教では、イエス・キリストの「狭い門から入りなさい」という言葉が忘れられなくなった。
他の宗教においても必ず何か忘れられなくなり、時折頭によぎる言葉がある。
今回、受講生さんの報告を目にした瞬間に思った。
(彼女は狭い門をみつけたのだ。)
あの頃は「狭い門」が何を指すのかさえもわからなかった。
それは自分の内側にある尊い門だ。
そこに入った時に、やっとそれと気付くことができる。
彼女も今はわからなくても、いつか必ずそれと気付く時が来る。