傷つきたくない、傷つきたくない、きずつきたくない、キズツキタクナイ
そう感じてこれまで生きてきました。
何を選ぶにも、嫌われないように、ダメだと思われないように
ダメな自分を感じたくないから
必死に生きてきた。
完璧な自分を崩さないように頑張ってきた。
小さな枠を出ることをとても恐れていた。
それは、まだまだ自分の知らない自分の価値や可能性を自分で閉ざしていることと同じこと。
ダメな自分であることは意外にわるいものではない。
例えば、何かにチャレンジをして失敗したとする。
確かに失敗したことを受け止めるのはつらい。
なんであんなことしたんだろう。
なんでこうしなかったんだろう。
様々なことが頭に浮かぶ
ただチャレンジした勇気ある自分もそこにいるのではないだろうか。
だから、ダメな自分をみることもわるくない。
逆にダメな自分を見ないということは、
せっかくチャレンジした勇気ある自分も見ないということなんだな。
「失敗」というラベルで覆ってしまい、それが「ダメ」として見なくなってしまう。
それが「〇」「×」というジャッジの考え方の怖い側面なんじゃないかなと思う。
その勇気ある自分を味方に、また次にチャレンジしたら次はうまくいくかもしれないのに。
たった「失敗」というラベルのせいで、その奥にある大切な自分までを否定してしまう。
この傷つく覚悟をする。
つまり、ダメな自分を見る覚悟、傷つく覚悟をすることで自分のすばらしさが表にでる。
一旦未完成だけれど、投稿しちゃう。