気持ちには大きな罠があります。
その罠とはー。
認められたかどうだかが
(本当の意味では)
わからない。ということです。
なぜなら
「私、認められている!」も
「私、認められてない!」も
判断するのは自分であり
本当の相手の心は
わからないからです。
大抵の人は、誰かのことを
「認めている!」とは
思っていなかったとしても
わざわざ本人に
そんなことは言いません。
なんなら「すごいね!」くらいは
より良い人間関係のためには
普通に言うでしょう。
コレは、思っていないことを言う
からダメだ、というよりも
日本で生きていくうえにおいては
マナーやエチケットのようなものです。
逆に、たとえ心底相手を
認めていたとしても
それをわざわざ言葉にしない。
という場合だってあるでしょう。
認められたいという罠とは
「わからないモノ」に
頼ろうとする不安定さにあります。
自分の判断のベースが
「認められていない」のうちは
誰がなんと言っても
認められていない!と感じますから。
それを誰かに証明して
もらおうとするのは
どうしても無理がありますし。
自分の判断のベースが
「認められている」だとしても
(自分の気分は良いかも知れませんが)
周囲の考えと、大幅に
ギャップが生まれた場合には
それなりに摩擦と歪みが生まれます。
なので、錬金術的には
基本的に
「人に認められるかどうか?」は
自分の価値基準にはしない。
というのをオススメしたいです。
あなたを認める人もいるでしょう。
あなたを認めない人もいるでしょう。
あなたが認められる時もあるでしょう。
あなたが認められない時もあるでしょう。
でも、それらは
あなたの価値とは
関係ありません。
認められたら
認められたなりに
認められなければ
認められないなりに
その時しなければならないことを
淡々と一生懸命やりましょう。
コレは認められたいがために
やることではありませんがー。
結果的には、1番認められやすい
方法だったりもします。
でもね。
本当に認められているかは
わからないからね(笑)
それを追いかけないことが
大切だったりするのです。
そういうモノを追いかけない
という戒めのために
昔の人は
「お天道様が見ている」
と、周りに左右されず
いつも変わらぬ姿勢で
人生と真摯に向き合おう
としたのかも知れません。
