おはようございます(*^^*)
温かいコメント
温かいメッセージを本当にありがとうございます┏●
☆コメント沢山頂いております┏●
お返事がなかなか出来なく……申し訳ございません。 何度も読み返させて頂いてます。
いつも 本当にありがとうございます。
さてこの「生い立ちシリーズ」
今の私だから 書く事の出来るシリーズであります
産まれた時から…「苦労」する運命の家で育ち
壮絶な「苦労」をして行きます。
ありえないエピソードの連続となるでしょう。
感受性豊かな方々は ご注意下さい┏●
( このシリーズ暗いので 毎日は書きません)
ここから今回の話!
120万の月収があった父ですが
「商売」(会社)で 更に仕事を取る為 お得意先に投資していました
1500万の投資をしたり…
何百万……何十万…………
家族で夕飯を囲んでいる時
仕事の話しばかりしていた父から
そんな話しばかり聞いていました
父は目を輝かせて…
関西人の「オチ」も付け加えて
楽しそうに話してました。
母は そんな父を尊敬してると言い……
ただ「ついていく」女でした
しかし母は 仕事で忙しくなる父に対し…
常に愛情表現を求める女でもありました
「依存心」の塊のような女
寂しくなると 我が子に矛先が向き…
父からの愛情表現を貰う手法は
気持ち悪くて仕方なかったです
亡き父は 手紙を書き…仏壇の引き出しに その手紙が残っています
「愛する我が子へ当たるのだけは止めてくれ」
「俺がお前を支えるから いつも子育て頑張ってくれて感謝してる」
「だから 我が子に当たるのだけは止めてな」
この手紙は 全く意味の無い手紙になりました。
虐待すれば 父が優しくなる。
母に与えた「成功体験」にしかならなかったのです。
能力の高かった父は
母に食い潰されたと言っても
過言では無いと 思います。
私は天真爛漫な子供でありました
そして「頑固」
小さな頃から 母の言いなりになった事など1度も無く
自分の意見をぶつける子供でした
当然 小さな頃は
母から体罰を受けます
受けた所で 絶対謝る事などしませんでした。
虐待は 「姉」に向いて行きます
父は知っていたのでしょうか?
聞いた事無く…この世から居なくなりましたので分かりません
姉が虐待されてる時
私は 母を突き飛ばしました
「私だけは 許さない」
これも幼い頃に誓った私の気持ちであります。
突き飛ばしますと もちろん私が体罰を受ける。
受けても謝らない。
このループが 私の産まれた家であります
「気に入らない子供」
それが私でした。
近所の人達…学校関係者へ
母から 容赦ない「嘘」を吹き込まれました
全て母自身の事を
あたかも「私」の事であるような
そんな嘘をばら撒くのです。
不思議と悲しいとは思いませんでした…
「そんな人」
そんな感覚だったように思います。
1人で生きて来た訳ではありません。
私の近くには 愛情溢れる
母方の祖父母が住んでいましたので 私は補助輪付きの自転車に乗り
中学3年まで 土日を祖父母の家で過ごしていたのです。
私の愛情を作ってくれた
祖父母
とても寛大で とても優しい
曲がった事が大嫌いで…
勇敢な祖父母に守られていたと心から思います。
体が大きくなると
母からの虐待が変化しました
体罰から「精神的虐待」へ移行しました
常に遊び回る私は この精神的虐待を受けず
「姉」だけの一点責めになるのです。
中学に入ると 王道の「不良」になった私と
大人しく 素直に親の言いなりになる姉
きっと姉は 母から認められたい一心で…言いなりになっていたのでしょう。
そして 姉は母と手を組み
気に入らない私を 追い詰めて行きます。
仲良しだった姉妹が
一生「会う事のない」姉妹になる出来事の連続は
「私」と言う人間を
精神的どん底に落として行きました。
ただの天真爛漫だけでは乗り越える事など出来ず
信じてるものを 「疑わなければ」生きていけない事を…突きつけられるのでした
それでも私は…………
疑う事を選ばず
「信じる」事を選び続けるのです。
いや~~~ お腹いっぱい笑┏●
次からは 「マジで そんなん起こるの?」級の
エピソードに突入してしまいます。
しかし、今の私を形成する成分
多すぎるわ笑
最後まで読んで下さり
ありがとうございます┏●
1日の始まりに なんちゅー暗めのブログをアップした事
自己責任でお願い致します笑
今日は 小池リオさんに会いますよ笑
このシリーズを無事書き終えた頃
1つ「決心」してる事があります
シリーズ180まで行きそうやけど笑┏●
↓↓↓ そんな こんな……あんなを経て御歳40歳過ぎ笑
色々な楽しい事や 温かい事を
発信して行きますヾ(`・ω´・)ゞ
登録お待ちしております┏●
さて さて!!!!!
我が子達の
盛モリの洗濯物
成敗します!笑
3mama!!!
