ワタシの足と苦悶と時間 〜刻み込まれた想い〜 | あたたかいじかん 〜自分と向き合ういろんなチャレンジ〜

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日頃の手入れ(セルフケア)で
凝り固まっていた部分から
ずっと過去にあった想いが湧き出るような。。。
そういう感覚を受け取りました。
>>>~感じる声



両親の営む衣料品の仕入れの荷物持ち。
母の実家へ遊びにいって
たくさんの土産を持ち帰る帰路の道。
どちらもが、自分の遊びや楽しみというより
両親の手となり足となる感覚でした。
身を犠牲にしてしまうような。。。
そういう義理めいたものもありました。




好きで楽しんでいる風をして
ココロでは、どこか犠牲にしている感覚。
素直な表現にすると、なんかそう言う感じでした。




「よく頑張ったね」
「よくここまで1人できたね」
「親から離れて行動できてえらいね」
そういうねぎらいの言葉をたくさんもらいました。




それで、満たされた気持ちになりながら
嬉しいはずなのに、喜べない。
そういう自分の気持ちが
年数を重ねるごとに生まれてくるようになりました。




親が仕事で身動きできない分、
ワタシがそれに取って代わって動いてやる。



そう思っていました。
だから、招かれざる客のように
親のそばを離れる事なく
首を突っ込んで
自ら大人のやり取りの空間に
どっぷり浸り込んでいくのでした。



気がつくと
自分から首を突っ込んでいるために
甘えることを疎んじて
親孝行している自分に
自己陶酔してしまうようになりました。




誰よりも親孝行しているから
きっとワタシは幸せになる。



不思議と疑わずして
そう想い込んでいました。




重たそうな荷物は持ってあげる。

仕事が忙しそうなら
自分が料理を作って
家で待っていてあげる。

親の話し相手になってあげる。

なんか他にも、いろいろ思ってました。




そういう子供時代を
太ももを揉んでいると
ず~っと思い出せてしまうんです。
二の腕も。




なんか、無理して重い荷物を
ずーっと持ち続けてきたよな...って。
でも、こころの中では
「だれか、もう気付いて!
重たいものは、もう持たなくっていいって言って!!」

そう叫んでたのを思い出したんです。



現実には、そういう声ももらいましたが
父の病気が治る訳でなく
母は店での仕事を辞める訳ではなく
環境が変わらないことを理由に
闇雲に「重い荷物を持つこと」で
家族の不遇に参加して気休めを得ていたんです。




だから。
だから、自分のカラダを手入れしていて
自分こそが言ってあげなくちゃ。
「もう、重たい荷物は持たんでいいよ」
こんなにも筋肉がついてしまうくらい
頑張ることは、今は必要ないよって。



そういう気持ちが
いつの間にやら掻き消されていて
単に「太いから嫌やな」とか
「こんな部分、無くなればいいのに」
って思っていました。



その部分こそが
自分の意地と頑張りの証しなのに。




頑張りに対して
自分自身で
冷たい視線
冷酷な気持ち
向けていたことに気がつきました。



人から無視されるのは
本当にココロが苦しいこと。
でも・・・
自分自身が自分を冷酷に見捨てること
そっちのほうが、もっと苦しい。



なので、
セルフケアの意識も変わってきました。



つづく

***

「えぇねんで」
~自分と対話するノート~



読みながら
自分だけの時間を持ち
自分の感性と向き合える・・・

そういう仕上がりになっています。
読みながら
何を感じるか
何を想うか

深いところの涌き起りを感じてみてください。


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