つづき
>>>もう無理・・・1
自分のことを人に観てもらうのは、本来ならとっても嫌なことなのだけれど「無意識を意識する」ってことを始めてからは、観てもらうのが嫌ではなくなった。
人に違うものの味方をいただく感覚。
嫌どころか、反って新鮮みを受け取ることの方が多い。まぁ、それだけ感情や感覚が麻痺してしまっているんだろうと想うよ。。。
だから、かたくなに自分を正当化して鎧をかぶっている人を多く見受けられるような状態に成ってくる。その頑固ささえなかったら良いのにね~・・・なんて人ごとなら思えるんだけど、自分のことに置き換えてみると「存在自体の柱」を無くすようなことだから、なかなか難しいことなんだろうって気付く。
だから、今は 人のことをとやかく思うよりも前に自分のことをとことん見つめることを優先させておく。でないと判らんことだらけだろうし。
肝心なことを掘り当てるまでに鯖虎ヤマサキさんに、いろいろ引き出してもらって、自分でも浮かぶままにしゃべって、手相なんかも観てもらって、結局のところ「もう無理・・・」って言葉が浮かんだ。
その言葉は、まさに魔法の言葉。
「もう無理。」もう無理。もう無理。。。。。。。何回繰り返し言ったかな。。。すごいからだが楽になるし、頭のてっぺんからも「ぷしゅーーーーー」って蒸気が出ていくような感覚だった。
すっごいショートして、カラダの中に「怒り」のエネルギーが渦巻いている様子だっていうことだった。
自分が自分に課したことの重さに耐えきれなくなっていたのよね・・・
家族のこと、自分のこと、仕事のこと・・・そこがふたをしたままで、何の解消もされて来なかったんだわ。
怒るってワタシ、できないんですよ。
腹立たしいことも、分析して、怒りを鎮めてしまうくらい。
でもね、父がそうだった。怒らない父だった。怒らないんじゃなくって、怒りを溜め込む人だった。その怒りが、結果として病魔に変化したんだと思う。
だから、ワタシがタロットやボディケアを習得して 分析ツールを持って対峙(たいじ)できるようになった今を考えると、過去の脈々とした感情の不発をワタシ自身がスッキリさせることで、代々の悶々とした閉塞感から開放されるような気がしてきたの。
自分と向き合うことで、救われる人がいる。
わたし、がんばる。
はっとりゆみか
