クマオは悪いと思っていない。
それぐらい遊ばせてよと思っている。
何なら遊ぶのの何が悪い?と思っている。
だから私が傷ついたとしたら
全力で謝って一生懸命償って
それでわかってほしいと期待している。
それでチャラにできると思っているのだ。
(舐めくさっている)
その上で
私のことが大切だと言うのも本心で
私がいなくなると自分は生きていけないと
いうのももちろん本心。
生活の基盤を私において居場所にしている。
これを大いなる矛盾だと思う人もいる。
私もかつてはそうだった。
だから余計に苦しくて辛かった。
その矛盾を正してほしくて
本気で何度も何度も話し合った。
だけど埒が明かなくて
「じゃあもうこれで終わりに
するしかない」というところに
行き着く。
そしていつもそこから進まない。
クマオは断固として別れを拒否し、
自分の本心もそれを望んでいないと
叫び出すのだ。
だから
本当に大切だと思っているなら
その人を悲しませることはしないだろうと
いうごく当たり前に思える言い分も
クマオにとっては正論すぎて
あるいは陳腐にさえ聞こえて
逆にピンとこないのだろう。
大切だけど
時におろそかにしてしまう。
これが本心。
全く難儀な人だと思うが
そういう人もいるということ。
そしてそんなクマオを批判することは
もはや自分を批判することと同じだと
いうことに最近気が付いた。
こんなふうに言語化して文字で書いて
改めて気づいたことなのだが。
替えの靴紐つき。
色に悩む。