「嘘でも嬉しい」と

先日のブログに書いた。

 

 

 

 

単に「嬉しい」とだけ言えず、

「嘘でも」と付け加えたこと。

 

 

そこには

ある方がコメントでくださったように、

 

表向きには

「実現しなくてもいいよ」という

クマオへの配慮と、

でもその裏には

実現しなかった時の自分の心を守るための

保険の言葉。

 

まさに優しさとせつなさの混合。

 

 

それと敢えて

もう一つ言うなら、

「どうせ口先だけのおべんちゃらでしょう、

そんなのお見通しだよ」というのを

敢えて「嘘」という強い言葉を使って

どこかへりくだりつつも、

釘を刺したのかもで。

 

 

 

 

 

 

そしてさらに

もう一つ思うのは、

「嘘でも」嬉しいのなら

残酷な真実を知る必要ってあるのかな?と

いうこと。

 

 

いつもどこかしら

誰かの嘘におびえている今の私には

自ら出したひとつの教訓でもある。

 

 

 

そんなことを

また今日も私は自分に問いかけて

内省している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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