叔母危篤の知らせに

先週月曜日にまた東京に戻った。


どっちに暮らして

どっちが帰る場所なのか

わからなくなってる気がする。



母が

よぼど寂しかったのか

よほど心配だったのか

翌日、叔母は

天に帰っていきました。



障害を持って

いつもニコニコしてて

裁縫が好きで上手くて…。


自分の母親(祖母)と同じ認知症と

診断されてから、

一人暮らしの叔母は

誰にも迷惑かけないように…

それが口癖だったそう。


天涯孤独で亡くなることも覚悟

していろいろな準備をしてた。


いろんなことがわからなくなる前にと

役所に相談しながら、

兄たちには知らせずに生きていた。



母は、

その義妹のことを案じていた。


母が私に遺した言葉はいろいろ

あるけれど、

「○○家(父の実家)のこと
よろしくね」

は、何をどうすればいいのか

わからないままずっと耳の奥に

残ってた。



あぁ

病院からの連絡を受けたのは

母のお墓詣りのその日。

あの電話を私と弟が揃った場で

受けてなければ、叔母は一人で

旅立ったかもしれない。


その叔母の遺したものは

本当に驚くことばかり。


自身の治療や入院から

葬儀や納骨をまでも、

誰の負担にもならないように

準備をしていた。



それなのに、

叔母の棺に入れられた

衣類は着古したものだった。


部屋の鍵も見つからず

勝手に入ることもできなかった

ため、母の時のように用意して

あげることは叶わなかった。


でもね、

一人でひっそり埋葬される

覚悟でいた叔母の骨を拾う

親族はみな集まったよ。


「一人でひっそりなんか

寂しいでしょ!」と、

きっと母のおせっかいだね。



偶然にも、

叔母を乗せた車は生まれ育った

実家や兄たちの家々を通り

ご遺骨は、高齢の兄たちに

代わって、

友だちに自慢してたらしい

甥っ子ー私の弟夫婦が

納骨まで預かることになった。



昨日やっと叔母の部屋に

父と弟と私でお邪魔した。


たくさんのアルバムに写る写真は

どれも笑顔だった。




自分は、質素に

虐められることも

騙されることも少なくなかった

でも相手が困ってたら

放っておけない性格だったと。


叔母の部屋は

優しいまあるい空気が漂ってた。


今頃、義姉の母と対面して

びっくししてるんだろうな。



必要な書類を三人で探していたら

手作りの洋服がたくさんあった。

「よかったぁ」と私。


友だちからのたくさんの手紙に

「よかったな」と父。


押入れからは、弟の

お店のクッキーの小さな空箱が。

「うれしいね」と弟。




生き抜く

生ききる

叔母と母が見せてくれたと

思います。


合掌








(読んでくださりありがとうございました。)