妄想だろうが、
幻想だろうが、
錯覚だろうが、
いいんです。
勝手に信じてる。
娘の留学先のホストのパパが
病に倒れた時
実家の父が病に倒れた時
折った千羽鶴。
今2人とも、歳相応の老いは
あるけれど、元気に蘇ってる。
今回、
友人のご主人の回復を祈って
折った千羽鶴
娘の拒食症ピークの時は
鶴を折る気力なんかなかった。
朝息してることを確認し、
夜無事の寝息を確認して
あー今日も無事終わったぁ
それが、私の精一杯だった。
なんで?なんで?なんで?
そんな思いばかりで、
余裕もこれっぽっちもなくて。
母のステージ4告知の時は、
突然過ぎて、
自分を冷静に保つこと
限られた時間を有意義に使うこと
それしか考えられなかった。
やっぱり気力も余裕もなかった。
鶴を折る時間があるなら、
娘に食べさせなきゃ!
母に会いに行かなきゃ!
だった。
家族だからできること
家族だからできないこと
他人だからできないこと
他人だからできること
行動の形は違うけれど、
その真ん中にあるのは
祈り。
娘の拒食症の時、
心が折れ、絶望と嫉妬で
狂いそうになった時でさえ、
心の底の底には祈りが
あった。
(今ならちゃんとわかるよ)
心の中に、誰かのことを
祈りおくこと
それは、結局、
自分自身の心の平安に
なっていたんだなぁ。
今回もきっと
私の千羽鶴は効くはずだから!


