仲がいい。
それだけに、
母が倒れた父の心労は半端ない。
父の認知症が加速している。
父と母の現実は、
気の毒で、不幸で、
大丈夫⁇と、心配されること
なんだろう。
職場では涙さえ浮かべてくれる
仲間もいる。
でも、
離れてるから⁈
自分一人で向き合ってるわけじゃ
ないことがわかるから⁈
急な展開ばかりで心が鈍感に
なってるのか⁈
おそらく私に悲壮感は漂って
いない。
そんな私を「強いね」と
褒めてくれる人もいる。
娘の拒食症にジタバタする
しかできなかった私が
強いわけがない。
ただ、
笑っていられるように
なっただけ。
なぜかわからないけど。
そういえば、
娘が大学時代、ガリガリのまま
夢だった留学をした時のこと。
檄細の娘を一年間大切に育てて
くれたホストファミリーに、
誘われるまま、無謀にも私は
一人で訪ねていった。
会って感謝も伝えたかった。
(英語話せないけど
)
そこで見た光景は
笑えることの
優しさと強さ。
ホストファミリーのママと
友だちが、朗らかに談笑して
大盛り上がりだった。
何がそんなに楽しいのか…
わからないまま
笑い声につられて、私も
楽しくなって笑ってた。
あとで娘が教えてくれた。
彼女たちの話題は、
認知症の身内のことだった。
こんなことするのよ〜
あんなことがあったのよ〜と、
披露して、皆で笑い飛ばしてた。
それまで、認知症の現実を
笑って話す人に会ったこと
なんかなかった。
ささやき声で、こぼし話する
人はいても。
笑えることじゃない…
親の不幸を笑うなんて…
その私のルールに反する光景
だったはずなのに、
彼女たちの笑いに、
不謹慎だとも、失礼だとも、
親不孝だとも、冷たいとも、
感じなかった。
(すてきだなぁ)
それが、正直な感想だった。
自分の親が認知症になった時、
そんな風に笑って向き合えたら
いいなぁ。と、憧れた。
あれは予祝だったのかな。
今、驚くスピードで加速する父の
認知症の言動も、母の現実も、
うれしい幸せではないけれど、
これもありだと笑っていられる。
脳の中の何かは失われていく
のかもしれないけれど、
それが
今の父や母にとって、
折れてもおかしくない心の
つっかえ棒になってる…
そんな気がする。
今私は、
6年前カナダで会った
彼女たちに
近づけているのだろうか。


