私はやっていません。
フェイスブック(たまに更新)との違いがよくわからないんだもの
娘は以前からやっていて、それを聞いた時も「ふーんそうなんだぁ」と聞き流したし、見たこともありませんでした。
私に見て欲しくないんじゃないかなと何となくそんな気もして。
(お母さんに見せたら何か言われるだろうし、それなら見せたくない)と、娘は思っているだろうと、勝手に私が思ってたのです。
それ、私が見たくなかったんだよね。
私の知らない娘の様子を見たら、
また取り越し苦労から、モヤモヤするんじゃないか。
また余計なこと言ってしまうんじゃないかって。
それが怖かった。
(だって私、見守る・待つのが、苦手だったから。)
でも、
私の知らない顔があって当然だよね。
どうせのびのびやってるだろうな。
試煉を乗り越えたければ自分でその道探すだろうし。
最近は、そんな風に思えて、インスタのことも忘れていました。
ところが、先日会った時に、「私のインスタ、見たい?見たい?」と言いながら、私のスマホを操作して、インスタできるようにしちゃっていました。
ありゃ
えっ⁈
見せたかったのか〰︎い
(もう一個の方は内緒🤫だそう。
そっとしときます。というか探し方わからない〰︎)
そして、さっきその教えてくれた娘のインスタをのぞいて見ました。
そしたら、昨日私に愚痴をこぼしたことを
すてきな写真に、ウキウキした独創的な文章を添えてアップしてありました。
「こんな目にあった!
」と話していたのに。
外で見せる顔と私に見せる顔。
そのどちらも、娘の本当の姿。
光と影かな。
外で、キラキラ⭐️してるんだもんね。
どうりでこっち側の影がくっきり濃くでるわけだ
社会という舞台で、光であろうとする娘が舞台裏に戻ってきた時にも、
「ほらちゃんと輝いて!」とまたスポットライトを浴びせるようなことを、私はしてきたんだろうな。
光と影は一対だものね。
両方、同じくらい大切だった。
とはいえ、娘の光の世界が私の想像以上に幸せそうなのは、やっぱりうれしい。
ただ、娘が私以外にも、影を見せられる、毒を吐ける友だちと出会えていること。
それは外ではいつも笑顔で頑張らなきゃ!という彼女自身の掟をやぶりつつあるということ…。
それはお肉で満腹になるより、幸せなことなのかもしれない。
(“見張らない”効果だよ、
やるなぁワタシ
と、自分も褒めてやるか!)


