流れてくるネットニュースをたまにのぞいて見ている。


ロサンゼルスで起こった山火事のニュースの中で、広大な高級住宅地の焼け跡を「まるで原爆後の広島のようだ」とFOXテレビのキャスターが表現したのだとか。


うーん。言いたいことはわかるが品がないよなあ。

そしてテレビキャスターとしては配慮に欠ける。



そんなネットニュースに《アメリカや中東では「テロ」の重みが違い、日本では「原爆」の重みが違い、東南アジアでは「地雷」の重みが違う》という引用リプが付いていた。


たし、

かに。


日本では「飯テロ」なんて言葉もあるし、「地雷系」なんて言葉もある。そこにはなんの重みもない。



国と国で違いがあるようにわたしたち一人ひとりも《重みの違う言葉》を持っている。それぞれにとってずしりとくる言葉。


その中身は、自身の正義かコンプレックスか過去に傷ついた経験なのかなと思う。


日本人は原爆で、アメリカや中東はテロで、東南アジアは地雷で過去に傷ついたということだろう。




何かの言葉に引っかかった時「その言葉」はどれに当たるのかな?と探してみると、その言葉を放った目の前の人だけが悪人なのではないんだなあと分かる。


自分が勝手に信じている正義か

自分が勝手に抱いたコンプレックスか

過去に傷つけてきた、あいつかもしれない。





その正義を握りしめている必要はあるのか

いつまでそれをコンプレックスとするのか

いつまで過去の傷ついた経験をぎゅっと握っておくのか


そこは自分で決められるところだなあと思う。