さて、あなたには
ものすごく頑張ったけれど
思うような結果が出せなかった
という経験はありますか。
頑張ったけれど
願いは叶わなかった。
その時の気持ちは
消化できているでしょうか。
どんな風に乗り越えましたか?
人は生きていると
努力しても、必ずしも願うような
結果が出せない課題に
ぶつかることがあります。
受験や就職、恋愛(!)。
上手くいったらうれしいし、
そうでなかったら悲しい。
私の場合は不妊治療です。
振り返ると人生の中で
最も時間をかけて経験してきたこと。
時間とお金と、
心のエネルギーをたくさん費やしても
結果が出せないこの経験を通して
努力ではどうにもならないことが
この世にはあると思い知りました。
折れた心をどうするか?や
思い描いたような
人生にはならない時に
どう生きたらいいか?
を考えるきっかけになりました。
この経験を通して気づいたこと。
結果にこだわり過ぎることは
苦しい生き方である
ということでした。
「こうなったら幸せ」というモノサシも
ひとつではないという
気づきにつながりました。
これに気づく前の私の
「こうなったら幸せ」の価値観は
どこかで誰かが言っていたものであり、
「幸せの枠」のような形をしていました。
その枠に入れなかったら
「人としてダメ」だと思っていました。
この時の幸せの枠は
何歳くらいで結婚して、
子どもは夫婦で
希望する人数だけ産み育て、
仕事も頑張っていて、
夫婦は仲が良くて、
子どもはかわいくて、
自分は良いおかあさんで
のような感じです
(ああ、書いていても恥ずかしい!)。
さらには
「努力したら幸せになれるし」
「努力しなかったら幸せになれない」
という考え方で生きていたので、
幸せになれていない、
結果を出せないのは
努力が足りないせい
と思っていました。
・・でしたが、
生殖医療をやりつくして
努力したけれど
なかなか結果も出せず、
ついに悲願の二人目を授かった!
と思ったら悲しい結果となり、
“幸せにもなれていない自分”
と向き合うことになった時、
人が幸せになる上で
本当に大切なことって何だろう?
と考えました。
地を這うような生殖医療をせずとも
何人も子どもを
授かっている人もあるのが現実で、
人生の不公平感を
感じることもありました。
何より、努力しても
結果を出せなかった
自分を許せない
自分を受け入れられない
苦しさがずっと心にありました。
流産後に学び始めた
アドラー心理学の
出来たか出来なかったかの
結果ではなく
取り組んだ過程や姿勢を
大切にする
という考えに触れた時、
ようやく私は
妊娠できない(結果を出せない)
自分を許し、
自分自身に寄り添うことができて
とてもとても救われたことが
今の仕事につながっています。
昨今「折れない心を作ろう」と
聞くことがありますが、
長い人生、大なり小なり
心が折れてしまうことは
避けられないと思います。
アドラー心理学では
「人は誰もが不完全」と考えます。
だから、折れてもいいんです。
立ち直れれば。
大切なのは折れてしまっても
自分で立ち直る力
乗り越える力
(これをアドラーでは「勇気」といいます)
を持つこと。
アドラーでいう「勇気」は
心のガソリンのようなもので、
自分自身を勇気づけることで
自ら作り出すことができます。
*それを体系的に学べるのが
私がアドラー心理学に出会って
衝撃を受けたことは
完璧じゃなくていいし、
良い、正しい、
出来る自分、じゃなくてもいい。
どんな自分もOK
ということでした。
つまり、結果がすべてではない。
(結果が大事ではないという意味ではなく)
自分の良いところだけではなく
ダメな自分にもOKを出そう
認めよう、受け入れよう
という考え方を知り、
これまでいかに
自分が
自分にやさしくなかったか
に、気づきました。
不妊治療を精一杯頑張ってきて
悲しい結果になってしまっても、
それでも自分を責めて
周りの人もやさしくないと
思っていたけれど、そうじゃなかった。
一番自分に冷たかったのは
自分自身でした。
同時に、いかに
他人軸で生きてきたかにも
気づきました。
長くなりました。
努力しても結果が
出せない自分と
とことん向きあったことは
(今だってありますー)
人生においても
なかなかハードな経験ではありましたが
丸腰では
乗り越えられなかった
というのが今の実感です。
だから知識は必要。
「勇気づけ」
「自己受容」
「主体的であること」
などのアドラーの特徴的な
やり方や考え方で
乗り越えてきたので、
これからも私と同じように悩む方の
お役に立てたらと思っています。
本日もお読みくださり
ありがとうございました!





