さてさて、前回の体験談はあくまで私目線でしたので、少々、おちゃらけた印象になったかと思いますが、プラユキさんのお話は、仏教や瞑想に関する、あくまで真面目な説法でしたよ。
すっかり日数が経ってしまいましたし、眠気と闘いながらの瞑想会でしたので、ちょっと記憶がおぼろげなのですが、覚えているところだけでも、シェアさせていただきますね。![]()
お堂に現れたプラユキさんは、簡単に挨拶をすませると、参加者に足を楽にしてもらっても構いませんよ、とにこやかにお話を始められます。
ブッダは大変な距離を長年、それこそ年老いて亡くなる直前まで歩いて説法を説かれていたので、とても足腰が丈夫だったと思う。
自分がいるタイのお寺の僧侶は、毎日たくさん歩くので、足腰が丈夫で、健康的だとお話をされます。
托鉢をしないと、その日の食事が無い訳ですから、毎日、夜が明ける前に起床して。
暁と共に托鉢をし、朝は誓願、昼は精進、夜は感謝、の精神で日々を過ごしています。
朝日を浴びるというのは、本当に人間の精神にとって、とても良い事なので。
朝起きる時はちょっとつらい時も、朝日を見ると、元気が湧いてくる、とお話をされます。
仏教では、ブッダは、無理をしないと教えている事。
愛語を話される事の大切さを説いた、と言われます。
心(しん)、口(く)、意(い)の三業(行為)を実践しなさい、という教えだと。
心は心で思う事、精神性や、考え、口は言葉により表現する事、意は実際に行動に移す事、の三つが揃ってこその仏の道だと、お話をされます。
(すいません、ここらへんは、私の解釈と混ざっている可能性がありますので、興味のある方は一度お調べください
)
愛語とは、真実、丁寧、仲たがいさせない言葉を人に対して発することだと説明されています。
素直な気持ちで人と付き合うようにしなさい、という教えであり。
人とのつきあいは、コン・パッション(慈悲・共に感情を分かち合う)というスタンスだが。
悪しき人(困った行動をする人)と、自分の心を曲げてまで、無理してつきあうことはない。
それには、心を込める事、現実をより良くするという考えを常に持ち。
世の中というのは、常に変化しているものだから。
過去の失敗や、未来への不安などは、今ここからみれば妄想であり。
妄想や雑念にとらわれない、今を生きる事が大切だと。
いつまでも苦しいことはないし、いつまでも喜び、楽しいままでもない。
無常であるという事を受け入れる事ができれば。
そういった心の痛みは、妄想だから、消していくことができると。
時間が経てば、心の苦しみが解決する、というのは、実は誤りで。
問題の本質が理解できれば、言い方を変えると気付くことができれば、その瞬間に苦しみが無くなると。
それができた時に苦しみから解放されるのであって。
これは長年修行して、瞑想した人のみに体得できる、というものではなく。
ブッダのお話を聞いて、すぐに気づけた人もいるので。
ブッダは長年修行して、苦労して得た、中庸の境地、悟りを、自分が知ったから、その方法を他の人にも教えたいという気持ちから、仏教が始まったのです。
ただし、人の教えを鵜呑みにするな、ともブッダは言っており。
今の自分の心を信じて、加減の良い所に落ち着く様にする。
その方法の一つとして、瞑想があり。
プラユキさんが提唱する、手動瞑想はリズム運動でもあるので、脳に良い、とお話をされています。
ここで、プラユキさん主導の手動瞑想が行われます。
目を開いた状態で、手のひらをトン、トンとリズムに合わせて動かしながらの瞑想ですね。
その時、その時の自分の手のひらに意識を向ける感じで。
雑念が浮かんでも、それはそれとして、なるべく、その時々の自分の手のひらを意識することがコツで。
自然と、今、ここの境地になれるんだとか。
(まぁ、これはちょっと慣れが必要かもしれませんね。
でも、ちょっと夢中になっちゃう瞑想法です。
詳しくはユーチューブなどを参照なさってくださいね☆
そうして、(参加者は皆無言ですが)なんだか和気あいあいな雰囲気の中、15分程の手動瞑想が終わると。
参加者による、質問コーナーがあります。
私が引っかかった、その中の一つの問いに対する、プラユキさんの答えが。
順番と、距離感が大事ですね、とおっしゃっています。
ブッダは無理はしないと教えている。
物事に注目するほど、デフォルトされるので。
困難な状況にある人にとっての、瞑想は、そこから距離をとり。
自分自身をそこに置くこと。
ブッダは悩みながら、中道的な方法を見つけました。
悩みがあるという事は、そこに悟りの可能性があると。
自分が苦労したからこそ、ブッダが後に続く人間のモデルになったのだと。
それは、自らをより所にしなさいと。
「気づき」、真理を悟れたよ、と教えてくれている。
苦しみもエネルギーのクセの一つであり。
そこに意識をONするのではなく、IN・OUTするようにするとよい。
例えば、ウツの人は、ヤラレ役を演じているのであり。
やっつけている人も自分と気づいていない。
怒り(イカリ)の感情もひっくり返せば、理解(リカイ)となる。
人というのは、気付きという智慧がないと、怒りは怒りで返してしまうが、智慧があれば、理解となる。
仏教には抜苦与楽(ばっくよらく)という言葉がありますよ、とその言葉の解説をされています。
そんな事をお話されて、他にも数人の質問に答えられて、第一部は終了しました。
注:なんか、消化不良でごめんなさいね。![]()
プラユキさんは、もっと明快にお話をされていましたよ。![]()
ニュアンスだけでも感じ取っていただければ、幸いです。
