の続きです。
前世の娘しゃあは高校生からの付き合いなので、今年で14年一緒にいることになります。
幸せ吸引体質のしゃあは太陽のような温かさと笑顔を周囲と分かち合い、
与え上手の受け取り上手。
「してあげている」感覚が強く、努力が苦手な割にプロセスを貴ぶ私とは対照的でした。
私は「何もしていない」のに愛されている彼女が理解できず、
なぜそう(特別で)いられるの?と聞くと不思議そうな顔をして一言「なにが?」と答えるんです。
「私は何もしてないよ。私はこれが普通でなんも特別なことはない」
「あえて言うならば、私は何があろうと、たとえ失敗することがあっても自分が大好き」
「自分探し」の渦中、この金言をまったく理解できませんでした。
そりゃそうよ。あなたみたいに素敵だったら、私だって自分を好きになれるのに…って。
「特別」な人は何か「特別」なことをしているのだろうと思っているので、
「何もしていない」「自然体でいる」ということが既に与えられた者の嫌味な発言とすら思っていました。
富める人はやはり心も豊かですが、
思考が貧しいと奪ったり何かのせいにする発想しかできません。
しゃあの発言は過不足なく言葉通りであり、
それ以外の何物でもないとだと腑に落とし込むにはたっぷり12年の時間が必要でした。
彼女が「特別」である所以は、他の何かになろうとすることではなく、ただ自分らしくいること。
もはや自分らしくいようと考えもしないくらい、自分でいること以外を考えられないのでしょう。
素敵になったら自分を好きになれるんじゃなくて、
自分が好きだから相手に「素敵だ」と言われるようになるのです。
外側を見ず・気にせず
ひたすら自分(内側)に注力すること
自分を見つめ続けた時、私が私を好きになるタイミング。というのは必ず来ます。
吹っ切れる。という言う方が適切かな。
とにかく、
「外のことはもう良い!比較するのも他人の言葉で落ち込むことはもう止めた!」
「私が私を幸せにする!私は自分が幸せになる責任を果たす!」
そう、自分に対して感じたことのない愛が湧き上がって来る感覚がするでしょう。
その溢れる愛は、自分を満たすと勝手に流れ落ちます。
杯からこんこんと光と共に湧き出るそのエネルギーを受け取る人が「あなたは特別」だと勝手に思うだけです。
「特別」になりたいと思っている内は、自分より外側を見ているので杯を満たすことはありません。
「才能なんてない(という思い込みを持つだけの)自分」を見つめそこに愛を見出すことが、全ての根幹であり、何をするにも最も近道な方法なのです。
自分の感覚を信じること。というのは、自分の内側の声に耳を澄ますことですが、
「外側の領域の世界を知る」ためにもやはり避けては通れない道です。
自分の感覚に対する絶対的な信頼感がないと、
欲しいと思っていた「特別な能力」が身に備わったとしてもそれに気付くことが出来ません。
「視えない人」だった私が「視えるようになった」からこそ声を大きくして言えるのですが、
本当は、既に視えている人がほとんどです。
例えばオーラやガイドが視える、会話ができるようになりたい考えた時、
輪郭がくっきりと見える、鼓膜を震わせてはっきり声が聞こえるという3次元的肉体の影響を伴うことを期待することは好ましくありません。
確かにはっきりと分かる人も中にはいらっしゃいますが、あまりに「自分が特別であること」を強調している方には一度、どこと繋がっているかを確認した方が良いでしょう。
(4次元低級霊が「よく見せる」ことにより憑依対象のエゴイズムを増大させている可能性があるため)
地球において時間的・空間的な制約を受けない存在に対して3次元の肉体的手法でコンタクトを取るということ自体、少し考えると違和感があることに気付くはずです。
4次元以上の存在たちに対しては私たちも歩みより「確かに存在するけれど3次元的社会で生活している時には見過ごしがちな外側の領域(オーラ体)」を用いるのが適しているでしょう。
純粋なエネルギーと繋がって視ている人は特別な目で「視えている」のではなく、
妄想や思い込みとして吹き消してしまうような繊細で微細なバイブレーションを「感じている」とする方が言葉として正しいように思うのです。
だからこそ、自分の感覚に対する確信力がないと
「でも、どうせ思い込みだし」と蜃気楼のように儚い真実をすぐに消してしまうのです。
本当は視えているのに。
「なりたい自分」に既になっているにも関わらず、
なんとか「普通(慣習や経験に基づく自分)」でいようと目を背けているだけなのです。
魂のレベルで見ると、これはある意味においてしょうがないとも言えます。
分化する前の魂は「思った瞬間現実化する場所」から来ているので、
タイムラグや不便があることで「人間として生きている」実感が得られるんですね。
ジェットコースターやお化け屋敷でスリルを経験したいことと、なんら違いはありません。
ただ、今この現実で望む現実を生み出したいのならば。
「私は生まれた瞬間から意図することを許されている」ことを自分に許可し、
感情は肉体を有するという「不便さ」の中で魂にもっとも近いセンサーであることを思い出すだけなのです。
自分が望む方向を指し示す羅針盤になるのが感情以外にないので、
「まず自分の感覚に目を向けましょう」と言っているのです。
肉体より魂に近いセンサーだからこそ「感じる」ことで多くの才能を開いてくれますが、
実は能力や才能は目的を達成するための副次的要因に過ぎません。
だからこそ、「才能が欲しい」だけだと目的地が曖昧なので能力が開花しにくいのです。
こと感覚の強い方が多くいらっしゃるスピリチュアル業界において「感覚を大切にする」というメソッドが同時期に多数の方が提供しているということは、
ある意味においては宇宙が集中すべきタームだから「言わせてる」と読むことが出来ます。
確かに星の流れを照らし合わせると、
これからますます他の誰でもない自分の心に従うことが必須となります。
あなたの叶えたい願いを理想とするプロセスを100%理解できる人など誰もいないからです。
今までの水瓶座土星期を振り返ると、山羊座土星期で形成された経済活動の一切を「否定する」動きとなりますが、2020年からの水瓶座土星期は「自由の時代の始まり」。
ここで自由に生きるか
他人の人生に振り回されるかの二極化が起こります。
2024年に水瓶座が冥王星に入ると、
2つの世界を行き来することがほぼ不可能なほどの差が出ます。
(2023年に一度水瓶座に入るが、逆行の関係で現実世界である山羊座に「戻る」)
感情‐精神的レベル以上の高度な精神活動とバイブレーションが求められるので
肉体‐感情的レベルである3次元的テーマの貧富の差以上に埋められない溝ができます。
バイブレーションは類似の法則に基づくので
自由な人は今以上に自由な人と交流し、
自分らしく存在する人は同じく自分らしい人との交友を築きますが、
愚痴や不満が絶えない人の前に蜘蛛の糸が垂らされることはないでしょう。
「誰かが助けてくれるのを待つ」というのは
自らが意思決定を下して魂の目的を叶えるという自由意志の法則に反しています。
自分で気付き、
行動するしかないのです。
私は、「私が私を幸せにする」と決めてから、
気付かない振りをしていた多くのギフトが既に備わっていたことを思い出しました。
数字にがんじがらめになっていた鉄の鎖は
世界を最小単位で読み解く数秘としてすべてを集約する花の鎖に変容し
読みたいものを読むため、興味がなかった分野に費やした時間は
直観力を育むだけでなくリーディングの背景を知りあらゆる証明をするためにいつかは必要とした投資で
あらゆることに過敏で「分かってしまう」という孤独感や何人もの自分に責められる恐怖は
セッションにおいてはどのようにアプローチすれば最高最善に最短で到達できるかを宇宙に聞く精度の高いアンテナとなりました。
自分にとって恥ずべきものが大きな財産となるなんて知る余地はありませんでした。
ただ「そう」だったのです。
ただ、最初から備わっていたものを思い出すだけで良かったのです。
あったかいお茶が飲みたいか
つめたいお水が飲みたいか
たったそれだけ。
3ヵ月あれば大体の人が何かしらの才能が開花します。
「分からない」「こんなことしても無意味」という言葉は
少なくとも春分の日までお休みしましょう。
感覚を無視する時間が長い人ほど解すのに時間はかかりますが、
暖かい光に向かうようにゆっくりと才能が芽吹いていきます。
春分まではまだ、宇宙のレベルでもおこもり期。
あったかいお茶か
つめたいお水か
そっと自分の声を聴いて飲みたいものを片手において、
春分と共に始まる2018年-2019年をどんな一年にしたいか、ゆったりと考えてみて下さいね。
