kuさんのブログ↓ありがとうございます😊
思考過多になり過ぎるのも不安や恐怖から、
わたしも以前まで何ものかになる!というものに、取り憑かれていたなぁと感じます。笑笑
でもまさにkuさんが引用したOSHOの文章↓
「 人生はとても小さなものでつくられている。 大きなものや偉大なものは何もない。
だからもし、あなたがいわゆる大きな物事に興味を持っているのなら、あなたは人生を取り逃がしてしまう。
人生を作っているのは、小さなものだ。カップのお茶を一口飲むこと。友達と雑談すること。朝の散歩に行くこと。といっても特にどこかに行くわけでもなく、ただ歩くだけ・・・・。目的地も終着点もなく、いつでも引き返すことが出来るような散歩だ。
大切な誰かのために、料理をつくること。自分の事も大切なのだから、自分のために料理を作ること。服を洗う事。床の掃除をすること。庭に水をやること・・・・。
こうしたとてもとても小さなもので、人生は作られている。見知らぬ人にあいさつすること。その人にはなんの用事もないのだから。まったく必要性のない挨拶だ。
だが、見知らぬ人にあいさつできるならば、花に対してもあいさつできる。木にもあいさつできるし、鳥に向けて歌う事だってできる。」
以上OSHOの文からでした。
ほんとこれです。
思考がない状態になるとまさにまさに!と思います。
この前、久しぶりに娘の幼稚園に一緒に登園しました。二人で手を繋ぎ、10分くらいの道のりを歩きながら、その時に娘が前から来る見回りのお巡りさんに『おはようございます』と大きな声で挨拶して、わたしに『いつも挨拶するんだよ、仲良しだから』と、
また数分歩くと今度はヤクルトのおばさんに『おはようございます』と大きな声で挨拶をして、『ヤクルトの人がバァバのお家に来るからありがとうって挨拶するんだよ。』と楽しそうにしている姿を見て、
わたしも子供の時に会う人、会う人に『おはようございます』と挨拶しながら学校に行ってたことを思い出しました。
常に平和な気持ちがあるからこそ、朝の気持ちよさに心が弾み、挨拶していた、そこには何かを得たりとかよく見せたいとかではなく、ただ気持ちいいから挨拶していたなぁと。
子供の時は、思考のない状態でいたのに、いつのまにか忘れて日常を不安という外からの情報に振り回されていたからだったなぁと改めて感じました。
今は木や花、鳥にも声をかけますよ笑笑
いや昔から掛けていたのに笑笑 忘れていた。
自分、一人が平和であること、まずは自分自身をその場所に自分が導く、誰でもない自分自身でどっぷり幸せにしてあげてください。

