一斉ヒーリング無意識に受け取ってしまうので、気付けば深い眠りに入ってしまいます。笑




まだ間に合う方は是非、受け取りますとちゃんと言ってくださいね。

私はこの一年で色んな事に遭遇しました。
今、流行りのコロナ前に部署移動、しかも全く経験のない、というか学生の頃、実習やお手伝いで経験した程度の部署にまさかの、この歳で移動びっくりと目を丸くしながら、時を過ごしました。





そんな中でコロナに振り回される医療従事者の一人でしたが、周りほどは慌てていない自分がいました…。




今、思い返すとコロナという目に見えないものよりも目に見えている部署移動と完全な管理職という役職の方がめんどくさかった💧からなんだと思うのです。




それを先週末の痛い思いをした身体のメンテナンスで自分が悶々と感じていた思いを放出し、何で、私がこんなに我慢しなきゃいけないんだ〜という叫び‼️と共に嫌われる事が本来は嫌なはずなのに、何故か嫌われる意味を考える日々だったのです。




私はあまりTVドラマを見ないのですが、唯一毎週欠かさず、大好きな女優さんと俳優さんが出ているという理由だけで見ている、
『大豆田とわ子と三人の元夫』

この松たか子の役が社長さんという、しかも本人が望まず、気付けばそんな役職になっていたという、本人は全くそんな器でもないし、そんなイケイケの人でもないのに、その位置になり、嫌われる役回りになっていた。みたいな感じの先週の回。




まさに、私もコレなんだよなぁ〜と共感しながら見ていたけど、答えは見つからなかった。でも、一つ分かったのは、本来なら自分が一番腹立っていい人なんだけど、腹立つ前に相手を許している自分がいたこと。




私の嫌われる話を聞いたスタッフは、いやマジに腹立つ!と私よりも怒ってくれたけど、私は、私の代わりに怒ってくれたスタッフから愛を感じたし、私を嫌われる存在にしてくれた人にも許したくなるくらい愛をあげたいなぁというアホか!と言いたくなるような気持ちにもなってた。




コレは本当に綺麗事じゃなくて本当にそうかんじたんだよね。
そんな時にマキエルがリブログしてくれたKUさんのブログを読んだらそうそうコレだーと腑に落ちた。





リブログしたKUさんの一部抜粋と言いつつ、ほぼ抜粋笑

「嫌われる勇気」と「相手がわかる愛」という二つのテーマに共通するものは何かというと、繫がって「自分にも人にも寛容になってきた・・・」ということになるかもしれません。


もう外側の事があまり気にならなくなってきて、自分の内面との繋がりに意識を向けやすいのであれば、相当シフトされています。

 

ストーリーの中にあってストーリーに振り回されにくくなってきているのであれば、当然新しい心境になってくるわけです。

 

やはり、繫がれは繋がるほど、本当の意味で「 自信 」が出てきます。


エゴの自分ではなく、繫がっている自分になってくると、自然とゆるやかに自信が出て来るので、「 人に嫌われる事も少しづつ自分に許せて来るのです 」


いままでだったら、嫌われたくないーとか、人に良く見られたいー とか、とてもとても気になっていたのが自分自身だったとします。しかしその自分とはエゴです。

 

ですが、繫がって来てエゴから少しずつ解放されてくると、そのような気持ちもめんどくさくなってくるのです。


つまり 一生懸命に周囲の人々に気を使っていた自分から、もっと気が緩められる自分になってくるのです。

 

嫌われたくない・・・という気持ちは変わらないのですが、緩んでき、「 まあ、いいかな 」という気持ちになってくるのです。

 

もっとはっきり言いますと、あまり「 罪悪感 」を昔みたいな思えなくなってくるのです。

 

いままでなら、罪悪感を持つことで自分自身の真面目さ、正直さの証明をしようとしていたのです。

これはエゴにとっては、エゴが生き延びるための最高の武器だったのです。 


昔は、いつも良い人でいたかったエゴが、言いたい事を言えなくて、毒をどんどん自分の内面に溜めていったわけですが、今は罪悪感をもてないくらい繋がりが強くなってきてしまっているので、毒を溜めないで生きられるようなってきたのです。

 

つまり、嫌われる勇気みたいなものが、少し出てきたりするのです。 

 

我がままというより、自由という感覚が広がって来るので自分に無理ができなくなってくるのがシフトしてくる事だからです。


嫌われる勇気のようなものが少しづつ出て来て、我がままで自己中心のようなものになると同時に、多くの人達の気持ちがわかって来るのです。霊的に、直感的に、などです。

 

ここが面白いところなのです、我がままになったら迷惑をかけるのではなく、繫がってきて自分を大切にして自己中になってくるかとおもいしや、他の人々の気持ちもだんだん判って来るのです。

 

 

 

結局、自分自身に愛ある態度で接してきたので、周囲の人々にも愛ある態度で接してしまうようになってくるのです。



自分への愛を深く、深く愛してあげれば、あげるほど、繫がって来て、周囲にも愛が伝わって行く、そして伝わって行くから相手が自分を通じて輝く、輝くから素晴らしく見える ということです。

 

つまり、自分自身から愛が溢れている人は、いろんな人にあっても結局、相手も愛情で満ちて来るので美しく見えるのです。

 

これが、相反するような二つが調和する事なのです。笑


以上が抜粋



まさにここに書いてある境地になっていました。

嫌われることに恐怖や恐れはないけど、嫌われない方がやはりいいじゃないですか、でもそれに囚われて自由がなくなる自分はもっと私は嫌なんだと気付いたのです。




それは自分を誰よりも愛し、自分で自分を満たしているから分かったことでもあるなぁとかんじたのです。




そして今日の大豆田とわ子さんに友達が伝えた言葉にまた納得させられました。




親友が社会不適合者で有ると自覚し漫画家を目指す、するととわ子さんも手伝うという。

親友は一人でやる!あなたは社長にもなれたから社会でやっていける人だと突き放す。



とわ子さんは社長はめんどくさいし私には出来ないよーというと、親友が、『あんたみたいな分かりやすい人でも社長が出来るという事は大切なコトだよ』と…びっくりびっくりびっくりなるほど❣️




私も今まで社長さんとか偉い人ってごく一部のすごい人という枠を持っていたけど、そんな枠を持たなくても社長になる意味はあるんだなぁと納得できたシーンだった。




そんな時にこのツィート


 

 


・好奇心のままに

・ゆる〜っと考える

・インスピレーションのままに発信

・分からないままを楽しむ

・宇宙にお任せ

・宇宙のメッセージを受け取る

・想像の世界に浸りまくる

・許す、決めない、流れに任せる



ありがとうございます😊