子どもの頃、母の日は『ケッ』って思って過ごしてたの
お墓参りに行くってことで、これが私の母の日なんだって
伊東のオバサンに、アレンジメントのお花を贈ったよ
お花が好きな人だから、喜んでもらえると思ったけど
喜んでもらえたけど
(たぶん)
私が常識知らずだったみたい
『アレンジメントは、年配の人には今後も贈らない方がいいよ
貴女のためを思って、貴女が失敗しないように伝えます
アレンジメントは、お供えの花をイメージさせてしまうから』
私のことを思って、伝えてくれたみたいなんだけど
その後も、やり取りする中で
私の心配は的外れなようで
私が役に立てることは、無いって
このやり取りで、こんな歳になって気づいたのは
私は、甘える場所が欲しかったんだ
ということ
失敗しないように教えてくれるんじゃなくて
喜ばせてあげれなくても
喜んでもらえるというか
子どもたちから的外れなプレゼントをもらっても
ただただ嬉しいんだよね
きっとそんなオバサンを求めてしまったんだと
友だちの
『母の日は、手ぶらで実家に帰っちゃったよ
『おかーさーんだいすきー』って言って、ご飯作ってもらって帰ってきた
』
っていう母の日のエピソードが、たまらなく羨ましい

伊東のオバサンは、母のように慕っても
母ではないし
子どものいない人に、母のような包容力を求めちゃいけない
それでも、私が母の存在をオバサンで埋めようとするみたいに
オバサンも私という存在で、ちょっとでも埋めれるのかな
とか思ってたのかな
勝手な図々しい思いだったんだな
これは、歳を取っても、いつまでーも娘な私の話
母の日は、次女のところにいたので
次女からケーキをもらったよ
帰ってきてからは、ムスコにニヤニヤしながら
『そーいえば母の日だったねー
いつもありがとー
』
なので、すかさず
『ねぇっ
歯磨き粉飛ばしたら、すぐ拭いてよっっ
』
(帰ってきたら、洗面所のアチコチに歯磨き粉のかたまりが…)
きっと、こんなやり取りが
私が母に求めてることで
埋めれそうで埋めれない穴も
ちゃんと母の立場として
埋めさせてもらってるんだろね
わかってるんだけど、頭ではわかってるんだけど
人生の振り返り期間なのか
更年期障害なのか
しんどくて、涙が止まらなかったよ


でも、大丈夫
母がいなくても
私には、子どもたちがいて
親友たちがいて
母の親友たちもいて
きっと、世の中の誰もが
埋まらない穴を持ってると思うから
私だけじゃないから
大丈夫
