主人が突然この世から居なくなってしまってから、今日でまる8年。
そう言葉で言うのはさらっと簡単なことかもしれないけれど、その裏にある想いやそこに至るまでの時間の中身は、とても簡単には言い表せないものだと思っています。
死別前からこのブログは書いていたので、その、主人が亡くなるという前日にも上げていたのがこんなタイトルのブログで…
そして、次に上げたものがいきなりこれでした。
(限定記事にしていましたが、8年が経ち普通記事にしました)
この「亡くなった」という直後のブログ…
嘘みたいになんか冷静なんです。
本当にこの時はまだ突然過ぎて、悲しみが大き過ぎて受け止めきれていない、そして頭では理解しようとしていても完全に心は付いていっていなかったと思います。
それからもちろん、やらなければならない事への緊張感とか、沢山の人との対応で気も張っていたのはあったかと思います。
でも、本音は動きたくなかった。
お布団の中で丸くなって、ただ自分の世界で静かに現実を心に入れたかったような…
だから時間さえあれば子どもたちに任せて部屋にこもってた。
何かある度に『…お母さん…?』って呼ばれていた現実がありました。
いくら時間が経っても…、こんなにも、ここまで会っていないとは思えない。そんな気持ちです。
だから、本当に会えていない時間を私は過ごして来たと思うことがとても悲しい。
居ても立っても居られないような、呼吸をちゃんとしているかさえも実感出来ない、息苦しいようにも生きてたあの頃。
それでもその日その時間を何とかやり過ごして来た結果の、そこを積み重ねての『今』なんだと思います。
死別後8年、それは本当に、考えられないほど苦しいものでした。
たくさん泣き、たくさんのことを諦めながら生きて来た時間…
でもその年月さえも私の人生にとって、「尊い時間」だったんだと、今思ってます。
この8年、(悲しくも)変わってしまったことってたくさんあります。
もう、これは主人が生きてた時に既にあったかな?それとも、亡くなってから出来たもの?なんて、そんな部分がわからなくなって来ています。
8年て、そういう時間。(年月)
主人が間違いなく生きていた2018年の6月。
そこから1年、2年、3年と時は無常にも流れて行きました。
本当にそれは、確かにあった主人と生きてた時間からどんどんと遠退いていくことで、これは何度か書いて来た想いだけれど、そんなのが私にはたまらなく悲しく思えてました。
そして今年は、主人の亡くなった歳に私が並びます。
いよいよ来年は主人の完全に知らない55歳以降の人生を生きていく…って事になる。
当然そこに主人が居ないことも寂しいわけだけど、たぶんそこより…
私だけがそこを知って生きていく事が申し訳ないような気持ち、
子どもや孫の成長を見ながら人生を先に進めること、そこに複雑な心はどうしても伴うのね。
それでも私、しっかりとも丁寧に、頑張って生きていかなきゃって思ってます。
主人の意に沿って生きる。
そこは最初っから変わらない思いです。


