大化の改新は歴史で習ったものとは違って、中大兄皇子と中臣鎌足が起こした大化の改新は、資料では一巳の変と言われているものみたいだ、現在の研究で大化の改新というのは、中大兄皇子と中臣鎌足が起こした一巳の変から始まったその後の起こった出来事そのものが大化の改新と言われているみたいだ、そして中大兄皇子と中臣鎌足の変は一度失敗しているみたいだな、孝徳天皇という新しい天皇が今までの豪族の在り方を変えて、豪族が抱えていた下民と言われる人達は、皆それぞれ物作りに長けていたり、建築に長けていたり能力が高かったので、豪族にだけ下民を支配させるのではなく、孝徳天皇は豪族から下民の支配をやめさせて、天皇が豪族や下民の民衆達を束ねるという政策を打ち出したらしいが、中大兄皇子は豪族のように、下民によって利益を得ていたので、孝徳天皇と中大兄皇子の考え方が衝突して、孝徳天皇との仲違いが起きてしまい、最初の大化の改新の変の目論見が失敗に終わってしまったみたいだ😊、この歴史も興味深かったが、自分は孝徳天皇が難波に宮を作ったというのが興味深かったな、だからもっと何で難波に宮を築いたのかの説明をしてほしかったな、当時は飛鳥の宮だったのに、何で難波に宮を築いたのか、そして今まで難波宮なんて聞いた事がなかったから、難波宮は何故知られて来なかったのかも教えてほしかったな、また別の機会にでもやってほしいな😊