☆橋本布美子さん マルチな人になりたい 第一部☆

☆橋本布美子さん マルチな人になりたい 第一部☆
「普通の主婦で終わりたくない!」という気持ちから、資格取得など前向きに取り組むようになった橋本布美子さんは、大阪市出身である。
銀行の関連会社で事務の仕事をしていたが、あまり合わないと感じていたこともあり、結婚して鈴鹿市に住むことに迷いはなかったそうだ。
「このまま便利な大阪で暮らしていけば、人としての視野が広がらない」という気持ちが強かったという。
女性にとって結婚は人生の転機だが、まさしく布美子さんにとっては転居を伴う大きな転機だったと言えるだろう。
29歳で結婚し、32歳から不妊治療を始め、自助グループも立ち上げた布美子さん。
そのときのアドバイザーの方を今でも尊敬しているという。
人間として柔らかな感性を持った人だったそうだ。約5年の自助グループでの活動で教わったことは、「子どものいない人生もある」「子どもを産まないことは不幸ではない」ということだった。
他にも学ぶことが数多くあり、「子どもを産まなければいけない」と思い込んでいた考えを改めたという。
不妊治療をやめた36歳前後から、手話通訳のサークルに参加し、ホームヘルパー2級の資格も取得、訪問介護の仕事もスタート。
最初はサークル活動だった手話も周囲の人たちに勧められたこともあり、手話通訳士の資格を取得してからは、ヘルパーの仕事との両立に悩むこともあったが気力体力とも充実した日々が続き、自分を労る暇もなかった。
公正な態度、さまざまなことを理解する知識および高い通訳技術が求められている仕事であることから、訪問介護の現場でも手話は常に必要とされている技術と言えるだろう。
手話通訳士の人数は、目標が5000人に対して、全国で3270人 三重県では48人、鈴鹿市では4人である。
数字で見ても布美子さんの果たす役割は大きい。
手話の技術を上げるために、週二回はろうあ者との交流会へ積極的に参加しているという。
今年の8月に開催される一般社団法人全国手話通訳問題研究会の全国大会に出席する予定もあり、被災地のバスツアーにも参加するそうだ。
来年、三重県で開催される全国大会の視察なのである。
最初は自宅近くに公民館が出来たことから、スタートした手話サークル。
試験がないからという理由で始めたホームヘルパー2級の資格取得と訪問介護の仕事。
お金を掛けずに身近なところからスタートする。
小さなことから大きく育てる堅実さは素晴らしい。
布美子さんの仕事はこれから育つに違いない。 — 場所: オリーブエイト