文章であれ会話であれ、何かしらの主張をするときには、全体を見渡す力が必要です。

たとえば、「◯◯さんはダメなヤツだ。使えない!」と主張したとします。

確かに◯◯さんには、ダメな面があるのかもしれません。

しかし、ひとりの人間が、100%ダメ成分でできているはずはありません。

◯◯さんにも、優しい一面や、賢い一面、偉い一面など、魅力や長所がたくさんあるはずです。

人間は「ダメなヤツ」のひと言で片付けられるほど単純ではありません。

世の中の物事や出来事にも同じことが言えます。

◯◯はおもしろい。◯◯はつまらない
◯◯は善だ。◯◯悪だ。
◯◯は正しい。◯◯は間違っている。
◯◯は最高だ。◯◯は最低だ。
絶対に◯◯だ。
◯◯すべきだ。

そう主張すること自体は、難しいことではありません。

サルでもできます(サルさん、ごめんなさい)。

ただし、もしも、物事の一面しか見えていない状態、あるいは、一面しか見ようとしていない状態でその主張をしようものなら、おそらく説得力を欠いた主張となるはずです。

「説得力のない」は、「底の浅い」と言い換えてもいいでしょう。

あらゆる面が見えたうえでの主張か、一面しか見えていない状態での主張か、そこで主張の真価が決まります。

鋭い主張をする人ほど全体がよく見えています。

いえ、全体をよく見ようとしています。

全体を見渡したうえで、それでもなお覚悟を決めて主張をする。

そこに主張の真価があるのではないでしょうか。