分かりにくい文章、読みにくい文章、伝わりにくい文章には、「論点」がぼんやりしているものが少なくありません。

「論点」というのは、文章の背骨のようなものです。

意識の核」とでも言えばいいでしょうか。


多くの会話にも「論点」は存在します。

たとえば、友人Aが次のような話をしたとします。

「結局、昨日は映画を観に行けなかったよ。『受験前に何考えてるんだ』っておふくろに言われてさ。効率よく勉強するためには息抜きだって必要だっつうの! そのことをまったく分かってないんだよなあ~」

これに対して、あなたは何と言葉を返しますか?


たとえば、次のように返したとします。

<返し1>
「それは残念だったな。でもあの映画は人気だから、しばらくは打ち切りにはならないよ。受験が終わってから観に行けばいいんじゃない? それに、打ち切られてもすぐにDVD化されるはずだから、まあ、少しの辛抱だよ」

おそらく、この返しでは、友人Aは、少し肩すかしを食らった気分になるでしょう。

なぜなら、友人Aの話の「論点」は、「映画に行けなかったことへの不満」ではなく、「理解のない母親に対する不満」だからです。

だとすれば、次のような言葉のほうが、友人Aには響くはずです。

<返し2>
「分かる分かる、うちもそうだよ。机に長く向かっていれば成績が良くなると思ってるの。ありゃ大きな勘違いだよな。結局、親って子供が勉強している姿を見て、自分が安心したいだけなんじゃないかなあ」

なぜ<返し2>のほうが響くかというと、友人Aが一番伝えたかった論点(=意識の核)を汲み取っているからです。

※論点を共有することと意見の正否は別問題です。


このやり取りから得た教訓は、文章を書くときにも役立てることができます。

環境問題について論じたいのに、ついつい、政治の悪口を書いていませんか?

テレビドラマに感動したことを書こうとしたのに、ついつい、ドラマのあらすじを書くことに熱心になっていませんか?

謝罪のメールを書こうと思ったのに、ついつい、言い訳のメールを書いていませんか?

伝えたい「論点(=意識の核)」が分かりにくければ、結果的に「一番伝えたいことが伝わらない」という哀しい事態を招いてしまいます。


私の経験上、文章も会話も「受け上手」な人ほど「出し上手」な傾向にあります。

もしも「論点」が明確な文章を書きたいのであれば、まずは他人の話や文章の「論点」を見抜く目を養いましょう。人の話を聞き流さない、人の文章を読み流さない、ということが大切です。

頭で「論点、論点!」と考えるよりも、よほどいい訓練になります。

会話も文章もコミュニケーションの一形態であることをお忘れなく。