河村慎吾とは?
学習障害・中学時代は成績All1・ダメすぎて高校は3つ編入・サーフィン大好き・専バイト先ではどこでも問題児扱いさてメイク学校でもメイク下手すぎていつもビリ・就職先見つからず経歴詐称疑惑?でやっとこさメイクの現場へ出たけどクレームもらいまくりホステスのスカウトマン・メイク教室の講師・金なくてパチンコ屋の清掃員
頼まれた事は断りまくり,周りから信じてもらえない
俺ってなんなやろか?
正直夢なんか無いまま過ごしてきました
そんな僕は「今、目の前の人のご縁」「今考えて」「今動いて」
紡いで繋いでの「今」があります
■プロローグ
学習障害・中学時代は成績All1・ダメすぎて高校は3つ編入・サーフィン大好き・専バイト先ではどこでも問題児扱いさてメイク学校でもメイク下手すぎていつもビリ・就職先見つからず経歴詐称疑惑?でやっとこさメイクの現場へ出たけどクレームもらいまくりホステスのスカウトマン・メイク教室の講師・金なくてパチンコ屋の清掃員
俺ってなんなやろか?
正直夢なんか無いまま過ごしてきました
そんな僕は「今、目の前の人のご縁」「今考えて」「今動いて」
紡いで繋いでの「今」があります
高校中退をした。正確には中退せざるを得なかった。
理由は単位が1つ、足りなかったこと。
学歴コンプレックスを持つ河村さんが、メイクでいこう!と決意をしてから、「男目線のメイク」が瞬く間に話題となり、現在、人気メイクアップ講師になるまでの裏側とは。
■挫折は若くして訪れた
16歳、高校を中退した。
初めて味わった挫折は、自分の後の人生で実は重くつきまとってくることになる。
でも、手に入れた自由をどうするか考え、サーフィンに没頭した。
地元のサーフショップに出入りしてはサーフィンをする毎日。
しかし18歳。一緒の高校に通っていた同級生が就職していくとき、さすがに焦りを感じた。
「自分がワクワクすることって何だ?」
18歳当時出した3つ。
周りに女の人がいること
世界中どこでもいけること
青天井に稼げること
これができる仕事はないだろうか。
答えを探そうとしたときに、好きなものに囲まれて幸せそうに仕事をする、地元荻窪のジーンズ屋の店長に教えを請いにいった。
「メイクがいい。」
その一言で、自分はメイクの道へ進むことにした。
さて、どこの学校へ行こう。。
そう迷っていたときに合コンで知り合ったかわいい女の子、えりかちゃん。
なんと美容を勉強する学生で、どこの学校に行っているかきいたところ
「トップモードアーティスト学園にいってるよ」と返答があった。
すぐに同じ学校にいきたいなといって願書を出し入学。
しかし、えりかちゃんがいない。
学校は1年制と2年制があり、えりかちゃんは1年制で辞めてしまっていた。
でも、もう入学してしまったし、年に100万円くらいかかるからやりきることに。
60人中男が3人の中で、そう決意した。
サーフィンに明け暮れた高校時代
■条件のひとつ、周りに女の人がいる、を達成したが、、、
女性が近くにいる仕事がしたかった。
しかし、割合が多すぎると、男性は女性の召使いになる。
自分は留年して入っているので当時20歳。
自分が年上になるとエラそうにしてしまう癖があった。
みんなが学校指定のメイク品を買う中で、アルバイトをして貯めたお金でいい化粧品を買いあさって、ちやほやされたりしていた。
学歴コンプレックスから、お金だけは稼ぎたいという気持ちはあったので、とにかく稼いでいた。
最初は人気者だったが、次第に「でしゃばるしうざい」嫌われるようになった。
このままではまずい。。。
しかも、メイクがあまりにも下手だった。
まずはメイクをうまくなるために練習をしなければならないと感じ、クラスメイト一人一人に
「お願いです。顔、貸してください」
すると、愚直に努力しているところがいい、と好かれるようになっていった。
学校も無事卒業。ジョルジオアルマーニコスメティックにて、男性メイクアップアーティストとしてキャリアをスタートさせる。
22歳、日本に2店舗しか無い「GIORGIO ARMNI COSMETICS」にて
■再びやってきた挫折
「”キレイになりたい ”と願うすべての女性にとって必要なのは、 人気の高いコスメでも、営業トークでもない」
ジョルジオアルマーニコスメティックで働いていたときに、頭に少しずつ浮かんでいた疑問が、日に日に大きくなっていく。
「”キレイになる”本質ってなんだろう・・・?」
浮かんだ問いを追求するために、メイク教室をし始めることに。
しかい、開始直後にある事件がきっかけで、300万円をだまし取られてしまう事件が発生する。
思わず、相手を傷つけてしまった。
傷害事件で、つかまってしまった。・・・一瞬の出来事だった。
何が起こったのか、冷静さと、まだ少し残る怒りの中、留置所から出てきたときにふと携帯を見た。
一番着信が多かったのは、メイク教室の恩師だった。
「人のことを傷つけている暇があれば、人のこともっとキレイにしろ」
その一言がじわっときた。
恩師である彼が成功することに関れる自分でありたい。
そして、何よりも親の自慢になれる自分でありたい。
どんなことがあっても、たくさんの人から見放されても、見守ってくれた、自分が悶々としていた「キレイになる本質」を教えてくれた人の一言に、心から救われた。
メイク講師の恩師、内田裕士さんと
■立て続けにやってきた挫折
それからもメイク教室を続けていたものの、
「河村さんのメイクはつまらない」「厳しい」と言われてばかりの日々。
「愛情が足りない」
といわれた25歳。
「愛をみがけ」と師匠に言われたが、どうすればいいのかわからない。
客離れが多い。
なんだ愛って。
わからないながらも、自分が一つ目にやったことは、
「体験レッスン来たひとへ手紙を書く」ということ。
手紙を書くことを覚えたのは留置所にはいっていた頃。
同じ留置所にいた人が「親に手紙書いたか?」と声をかけてくれて、東野圭吾の手紙という本を読んだ。
そこから弟、母親への手紙を綴ったのがきっかけ。また、本田宗一郎と共に本田技研工業を世界的な大企業に育て上げた藤沢 武夫が、バイクを売り出したときに1万通の手紙を書き、8千通の返事があったという話を聞いた。
「これしかない、手紙作戦だ!」
■手紙「作戦」で気付いた本当に向き合うべきこと
自分のメイク教室に来てくれた参加者全員に、
「外見の魅力、その場で言えなかったこと、自分が魅力に思ったこと」を書くようにした。
そして50通連続続けて、すべて24時間以内に書こうとルールを設定した。
見返りは求めなかった。3ヶ月かかった。
気付いたことは、「出来ていないことがたくさんある」ということ。
その人を振り返り、その時の教室を振り返って手紙を書いていく作業で、自分が2時間の授業の中で8人すべてに伝えられていなかったこと、できていなかったことが見えてきた。
その場で伝えられなかった「ありがとう」があふれてくる。
そして、3ヶ月書き続けたことで、教室は人気教室へかわった。
今まで何かにつけてすぐ諦めて、気分で変わってしまう自分だったが、いつでも人はやり直せることを実感できた。
メイク教室を受講した生徒さんのBefore / After
■今、悩んでいる人へ
自信を持てた今でさえ、他人と比べているときに不安や焦りはある。
起業して半年で各種メディアに取り上げられている代表の友人。
でも、他人との比較ではなく、去る者追わず、来るもの拒まず。今残っている人を愛することを大事にしていけば、道が開けることも知っている。
26歳のときに聞いた言葉で、心に残っているものが2つある。
頼まれごとは試されごと。返事は0.2秒以内にしろ、1秒かかる人は損得を考える時間がある人だ。
自分が何をたりないか知ることが大事だ。
「人をキレイにすること」「愛」
それがわかれば、奇跡は人がかなえてくれる。
うまくいくまで環境を変え続けよう。




