自分のために綴っています。




5.たくさんのB型の血液をいただいたおかげで、わたしは生きることができています。

http://ameblo.mom/tsukiakari-hoshinohikari/entry-12058061026.html







入院してからわかったこと。


それは、

修学旅行が終わって、膝が何となく痛くて、アチコチ病院にかかっていた時のレントゲンに、既にがん細胞らしき影が写っていたこと。



けれども、がんを見つけてもらうことができなかった。




逆に、


内視鏡検査したり、

膝に痛み止め注射したり、

膝を丈夫にするためにとリハビリしたりで、


がん細胞をどんど活発させてしまうことを、知らぬ間にやっていたのね。




がんの発見は遅かった。



ただ、

抗がん剤がものすごく効いた。



アレルギー反応が出たりで、結構大変な思いをしながらの治療だったけれど、

薬との相性は悪くなかったんだと思う。


人工関節を入れて足を温存できることになった。





しかし、


内視鏡検査で筋肉に穴をあけたことで、

そこにがん細胞が入り込んでいる可能性もあるからと、、筋肉を残すことができない。

もちろん、おさらも。




だもんで、

人工関節の上に、すぐ、皮膚。



だからね、

術後、膝を少しずつ曲げる練習をするんだけれど、

皮膚が突っ張るから、ものすごく痛いのよ。苦笑





で、もう曲げる練習やめた。

歩ければいいから。



主治医は「膝曲げる訓練しろー」ってちょっと怒っていたけど。



曲げなかったおかげで、

約7年毎に交換する予定だった人工関節は、倍の14年も頑張ってくれたんだよ!
だからね、曲げなくて正解だったのねっ










ただね・・・


足を残せたことを、よく思わない人もいたのね。





Aちゃん(仮名)のパパ。

(Aちゃんがどう思っていたのかは知らないよ)





パパがね、わたしを無視し始めたんだ。







理由は、


自分の娘(Aちゃん)は、足を切断した。


なんでみかちゃんは、足を残すことができたんだ?!







・・・・・・・・




詳細は書かないけれど、当時は理由がわからなくて。






だってさ、


15歳の子供が、

まさか大人に無視されるなんて思ってもいなかったしね。




日に日に憂鬱で。







どのくらい続いたかなぁ、その生活が。





わたしの様子に気付いてくれたのは、

たまたまだけれど、同じ沼津から来て治療していた子のパパさんだったの。

(その子は、沼津市内の別の病院で骨肉腫が見つかり。今は、空の星になりました。)




ひょいっと病室に顔出してくれてね、

「みかちゃん、どうした?最近元気ないね?」

って。




だからね、

この気になっていることを話したの。

どうして無視されているのかわからないけれど、部屋替えられるなら替えたい。

とか、そういう話をした。



で、本当に数十分もしない間に、看護師長がすっ飛んできた。





「みかちゃん、気付いてあげられなくてごめん。すぐ部屋移ろう。」

って。





看護師長はじめ、何人かの看護師さんで、あっと言う間に別の部屋への引っ越し完了。



もう、Aちゃんのパパを気にしなくてよくなったんだ。






大人って、いい顔しながら心では何を思っているのかわかんない。



・・・と、大人を疑うことを覚えた15歳。苦笑






このあたりから、心のことを勉強したいなぁって思い始めたんだ。


心理学って、どうやったら勉強できるんだろうって思い始めた頃。








ちなみに、

この頃よく病院の売店で買っていたのが、鉄骨飲料。






で、流行っていたCMは、リゲイン。






時任三郎 を、

ときとう と読めず、

とき にんざぶろう だと思っていた。笑