明智光秀の伝説  きんぱこ歴史物語 |         きんぱこ(^^)v  

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      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ

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2012/05/30(2010/2/8から)

リンク先が無くなったので

メンテナンス再投稿しました

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 京都府福知山市

 皆さんはJR福知山線脱線事故で聞いたことがある名前だと思います。

 福知山はその終点の駅で京都府に北部にある中堅都市です。そして私の実家もこのあたりにあるのですが・・・。


 ここに安土桃山時代から伝わる歌が民謡として残っています


        きんぱこ(^^)v  -1 (2012/5/30 youtube)

(後ろの城は現在復元されている福知山城)


 ♪

 福知山出て 長田野(おさだの)越えて チョイチョイ
 駒を早めて 亀山へ ドッコイセ ドッコイセ チョコイチョイノ チョイノチョイノノセ
 トコドッコイ トコドッコイ トコドッコイセ
 お前見たかや お城の庭を チョイチョイ
 今が桔梗の 花盛り ドッコイセ ドッコイセ チョコイチョイノ チョイノチョイノノセ

 トコドッコイ トコドッコイ トコドッコイセ
 ・・・・

 ♪


 京都から北へ30キロ行くと、丹波亀山……つまり現在の亀岡市があります。さらに北へ50キロ行くと上の唄の福知山市があります。

 土桃山時代に明智光秀が平定した丹波の地


砂坂を這う蟻-光秀

 明智光秀はこの福知山に城を建てて弟を城代に据えました。そして城の名前を福智山城と名づけました。現在の福知山城の名は江戸時代に付けられたものです。(江戸時代の城代は朽木氏)

 そしてあの本能寺の変の直前には最愛の妻明智煕子(妻木煕子:つまきひろこ)をこの福知山城に移してから本能寺に向かったと言われています。

 上の唄は、江戸時代に出来たものですが、明智光秀の時代の事も唄っています。明智光秀は福知山を流れる由良川の氾濫を抑えるために堤防の工事もさせて、租税を抑え、かなりの善政を敷いたようですね。

 政治上の策とはいえ、上の唄からも地元の人は光秀を悪くは思っていないと思います。


 余談ですが、光秀は生涯妻木煕子という妻を愛して、妾は一人も取りませんでした。(一人だけ居たという話もありますが・・・))この時代のおいては、とても珍しいことですよね。

 この妻木煕子が光秀に嫁ぐときのエピソードがあります。

 煕子は不幸な事ですが嫁入り前に放蕩(ほうとう:天然痘のことです)にかかってしまいました。放蕩にかかると全身痘痕(あばた)だらけになります。煕子の親は困ったあげくお輿入りの時に瓜二つの妹を乗せます。しかし光秀はそれを見破り、煕子を乗せるように親に伝えて挙式を済ませたと言われています。

 やがて煕子は女子を産みます。明智珠子。ご存知でしょうか、やがてこの人は細川幽斎(ゆうさい)の長男である細川忠興(ただおき)に嫁ぎます。隠れキリシタンであり絶世の美女と言われた細川ガラシヤのことです。


 
砂坂を這う蟻-ガラシャ

(細川忠興とガラシャ婦人像:京都府長岡京市勝竜寺)


 細川ガラシャについてはまた何時か書くとして、光秀です。



 明智光秀については色んなエピソードがありますね。その中で、私が好きな説は皆さんご存知

 光秀は殺されたのではなく、南光坊天海僧正となって徳川時代を生きたとする説です。



 しかしやはり光秀は本能寺の変後の山崎の合戦で死んだと思います。

 上に書いたように明智光秀という人物は民衆や部下に愛され、嫁を大切にするつまり家族を大切にする人物だったと思われます。

 そんな人物が逆賊と言われると、光秀を慕っていた人々はどう思うでしょうか。

 特に部下や兄弟や子供は後年どこかに光秀の航跡を残そうとしたのではないでしょうか。

・光秀の家老斎藤利三の娘が徳川家光の乳母である春日局になったこと

・豊臣秀吉が亡くなった翌年1599年に、大阪岸和田の本徳寺に光秀の肖像画が飾られたこと

・比叡山・松禅寺には、光秀寄進 の石灯籠がある。寄進された年は1615年。なぜ大坂夏の陣の時に寄進があったのか・・・。

など。

 そして天海僧正と日光東照宮の桔梗紋(土岐氏の流れを汲む明智氏の紋)とその近くに天海が名づけたとされる「明智平」の地名。



 そしてさらに不思議な唄

 かごめかごめ

 かごのなかのとりは

 いついつであう

 よあけのばんに

 つるつるつべった……

 この唄の謎。

 これはもう少し古い文献が見つかったらいいのに…。


 天海僧正は明智光秀そのものではないが、兄弟か子供だったのではないでしょうか…。

 みなさんはどう思いますか?



(2010年にコメントをくださった方々、ありがとうございました)