3/1はビキニデー
3月1日は、1954年、ビキニ環礁の水爆実験で焼津港所属の漁船「第五福竜丸」が被ばくしたビキニデーです。
静岡県の焼津市では、1000人を超える人が核廃絶を訴えて赤いバラ一輪を手に街を行進しました。
現場から200キロ離れたロンゲラップ島では、安全宣言が出されて帰島できるようになったそうですが、島民は信じ切れていないようです。そりゃそうでしょうね。
この実験で東京にも黒い雨が降りました。
そのころは今の様に誰でも放射線量が計れる時代ではなかったので、福島原発事故よりひどかったのではないでしょうか。
しかし、アメリカの実験は公表されているし結果も研究されていてこれだけニュースになりますが、中国の新疆ウイグル自治区の核実験の実態は全然伝わってきません。
わたしはこちらのほうが怖いです。
---------------2010/08/02--------------
【ビキニ環礁】
2010年8月31日、このビキニ環礁が世界遺産に登録されました。
人類が残した醜態の跡。
今になってようやくダイビングも可能になって来たとの事。

(非難した島民も、福竜丸も)
クリックしたらグーグルマップ、島の左上の丸く大きな窪みが水爆実験で出来たクレーターです
ここは、ご存知女性のビキニの名づけ元。
ビキニは現地語では「やしの木」という意味だそうです。
とても綺麗な環礁ですが、ご存知の通りアメリカが100回70発近くも核実験を行った場所ですね。
日本もその犠牲になりました。
・戦艦長門
・第五福竜丸の被爆
・そして日本にも放射能の雨
戦艦長門
戦艦大和は極秘で造られていましたから、日本で一番大きくて有名な戦艦だったそうです。
最後は、終戦になって捕虜じゃないけどアメリカに持っていかれました。
何の為かというと、核実験の為に。
もう自力走行もままならないほどボロボロになった長門は最後の力を振り絞って、このビキニ環礁にたどり着きました。そして、核爆弾から約1キロの所に浮かべられます。
実験は行われ、核が爆発しました。
長門は約五度ほど傾きました。長門より内側に浮かべられていた船はどんどん沈んでゆきます。
長門は、何とか元の姿勢に戻って、沈まずに浮かんでいました。遠くから実験関係者は長門の様子を見守りました。
一晩、二晩、三晩・・・・
そして四日目の朝、長門は無事に海上に浮かんでいました。
しかし、四日目の晩。関係者が長門は大丈夫だったと思って誰も見てはいない暗い夜の海で、静かに沈んで行きました。
長門は今でも海底にひっくり返った状態で沈んでいます。この辺りの有名なダイビングスポットになっているそうです。

(ビキニ環礁の実験と長門)
ロンゲラップ環礁
1954年3月にビキニ上空で行われた実験は、東に150キロ離れたこの環礁にも死の灰を降らせました。
当時、近海で操業していた第五福龍丸が被爆したことでも知られています。福竜丸の船員は遠くで大きく赤い光を見ました。暫くすると、船の上に「死の灰」が降ってきたそうです。
船長は被爆後、半年で亡くなりました。
ロンゲラップ島に非難した地元民もすべて被爆したそうです。
実は、この実験は原爆ではなく水爆の実験でした。ソ連が小型の水爆を開発したことに、アメリカは焦っていました。そしてこの実験。爆発は成功しましたが、開発者が計算していた予想を遥かに超える威力で爆発をしました。それで、避難場所にまで、また、第五福竜丸にまで被害を受けることのなったのです。
この水爆の跡は、上の画像で赤い丸の中です、直径2キロ、深さ75mのクレーターが出来ています。
GOOGLE MAPで確認
放射能の雨
この実験は予想を超えるもので、遠く離れた日本にも影響がありました。
実験から五ヵ月後、なんと日本にふる雨に放射能が含まれていたそうです。
そんなビキニ環礁も最近は放射能の影響も殆ど無くなって、短期滞在なら問題がないそうです。それで、少しずつ、ダイバーの旅行者が増えているとか。

