足利尊氏の墓(京都綾部市)追記1 |         きんぱこ(^^)v  

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      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ

京都府は京都市だけが京都だと思っている人は多い。

京都は以外と広くて、北は日本海に面している。

日本三景の天の橋立のある宮津や軍港として発達した舞鶴も京都だ。

京都市から舞鶴市に行く途中に綾部市がある。


余談ながら、綾部市(あやべし)は全国的に見るとだれも知らない街だろう。


しかし、一つだけ皆が知っているものはある。


パンティーストッキングのグンゼは、発祥が綾部で初代社長は波多野鶴吉と言った。


今でも本社工場がある。綾部は明治以降長野県と並ぶ織物の産地だった。

ここに足利尊氏とその母親の上杉清子そして尊氏の夫人だった赤橋登子の墓がヒッソリと並んでいる。


左から上杉清子、尊氏、赤橋登子。

尊氏の墓は他にもある。
京都市北区萬年山等持院
神奈川県鎌倉市寶亀山長寿寺。

私が想像しているのは、納骨を分けてそれぞれゆかりの地に持っていったのだと思う


尊氏はこの地から京都の六波羅探題を攻め滅ぼして、室町幕府への道を歩み始めた。

地名も上杉町といって、尊氏の母はこの地の人だったらしい。


みなさんは、上杉といえば、上杉謙信(長尾影虎)を想像するだろう。

上杉家は元々天皇家に仕える京都の中級の公家で、一族は綾部市の上杉荘(現在の上杉町)に住んでいた。

尊氏が生まれて、鎌倉幕府が出来た時に、上杉一族も鎌倉へと移動した。

そして関東管領(かんとうかんれい)という職を世襲することになった。

しかし、戦国時代になって、現地を実質治めていた山内上杉家と京都にある扇谷上杉(おおぎがやつ)家との仲が悪くなり、加えて下克上でのし上がってきた伊豆の北条氏に押されてきたので、越後の長尾影虎に泣きついた。

血縁はないが、こう言った理由で京都綾部の上杉と上杉謙信とは因縁がある。

その後は養子景勝が豊臣時代の五大老を務め、江戸時代は会津藩120万石。から米沢藩30万石。

なんと因縁は京都綾部から遠く米沢にまで関っている。

こういった因縁は無数にあって現在に至っている。

みなさんの周りに上杉さんがいたら、どこかで細い因縁があるのかも。



墓のある場所は安国寺と呼ばれる臨済宗の寺の片隅に置かれている。

臨済宗は禅宗で武士主体に広まった宗教だ。


それに対して曹洞宗は農民主体に広まった。


どちらも禅宗だ。

尊氏は全国に安国寺を建立させた。

だから安国寺と言う名前の寺は何処にでもある。

綾部市の安国寺はもともと上杉氏の氏寺で光福寺と呼ばれていたのを安国寺と改名された。

上杉氏の氏寺でもあったことから、数ある安国寺の筆頭の寺として室町幕府の庇護を受けていたみたいだ。

綾部市の安国寺は京都市にある東福寺という寺に属しているが、残念ながら江戸時代に土砂崩れで倒壊したので再建されている。

尊氏の墓は二代目の足利義詮が遺骨を埋葬したらしい。

そのときの御教書などが残されている。

墓の形は南北朝時代の墓の形だそうだ。

歴史を動かした人物が、こんな所に眠っていた。