◆東日本大震災1周年追悼式~ご遺族の言葉 【宮城県】 | もう一度あなたに愛たい~星になった言の葉~

◆東日本大震災1周年追悼式~ご遺族の言葉 【宮城県】

ご訪問ありがとうございます。天野使音です。


「東日本大震災1周年追悼式」での

ご遺族の言葉を毎日新聞から転載させていただき

全文を記載させていただきます。

>>こちらの続きです。



宮城県遺族代表 奥田江利子様 (47歳)



「悲しみを抱いて」


東日本大地震では大勢の人が亡くなりました。

そして、いとおしい人を思い続けるたくさんの人が残されました。


私は津波で甚大な被害を受けた、

宮城県石巻市北上町に2人の子供と両親とで住んでいました。


震災の1週間前、23歳だった長男、智史の結婚式でした。

息子夫妻が入籍の日に選んだのは3月11日でした。

2人は我が子の誕生を楽しみに、

人生で一番幸せな時を迎えていました。

私たち家族も、

その将来に向けてささやかな幸福を感じておりました。


震災の日も、

いつもと変わらない朝を迎えて、

変わらず明日が来ると・・・・・

来ないなんて思いもしませんでした。


地震の後、息子は家族の身を案じ、

妹と祖父母が身を寄せていた近くの指定避難所に

車で向かったそうです。


津波が海から数メートルの避難所を襲い、

たくさんの尊い命をもぎ取り奪っていきました。


窓からは、迫りくる波が見えただろうに、

「どんなに恐ろしい思いをしたか」。

それを思うと、胸が締め付けられます。


ただただかわいそうでかわいそうで、

いたたまれません。


次の日、

避難所から100メートルの自宅のあった場所近くで

息子は見つかりました。

一緒にいたはずの娘は家族の一番最後、

1ヵ月後にやっと見つかりました。


妹をその胸の中で守っていたかのように手を組んで

水たまりに横たわっていました。


「おかあ、俺なりに頑張った」。

そう言っているようで、おまえ頑張ったな。偉いぞ。

「みんなと一緒にいてやったんだよね」。

何度も話しかけました。


冷たくなった夫にすがって泣き続ける嫁。


こんな残酷な思いをさせてしまって

本当に申し訳なくて済まなくて、

残されたこの子らがふびんでなりません。


身重の妻を残して逝った息子の気持ちを思うと、

どんなに無念だったか。

この母が代わらせてもらいたかったです。


見渡す限りの惨状に地獄はここだと思いました。


私の大切な家族。


強くて厳しかったけれども、芯の温かだった母。


一家を辛抱強く支えてくれた父。


年の離れた妹を心底可愛がり父親代わりをしてくれた息子。


心優しく、その笑顔が我が家の明りだった娘。


14年ぶりに授かった娘は家族の宝物であり

私の生きがいでした。


受け止めがたい現実、

やり場のない怒りと悲しみ、

そして限りのない絶望。


最愛の人を失ったというのに自分が生きているという悲しみ。

「生きることがつらい」と思う申し訳ない気持ち。

生きている事が何なのか、

生きていく事が何なのかを

考えることさえでいない日々が続きました。


愛する人たちを思う気持ちがある限り

私たちの悲しみが消えることはないでしょう。

遺族はその悲しみを一生抱いて生きていくしかありません。


だから、

もっと強くなるしかありません。

涙を越えて強くなるしかありません。


今、私はこう思うようにしています。

「子供たちが望む母でいよう」

「これでいいだろうか」

「こんなときに両親はなんと言うだろう」


そう思うことで亡くした家族と、

「一緒に暮らしている」と感じていたいからです。


絶望の中にさす光もありました。

息子は私たちに生きる意味を残しました。


忘れ形見の初孫が7月に生まれ、元気に育っています。


その孫の成長が生きる希望へとつながっています。


最後に被災地の私たちを支えてくださった多くの皆さん、

日本全国、世界各国の皆様に心から感謝を申しあげます。


皆さんからの温かな支援が

私たちに気力と希望を与えてくださいました。


だから今日まで過ごしてこれました。


その恩に報いるには、

私たち一人一人がしっかりと前を向いて生きていくことだと、

そう思っています。

さしのべてもらったその手を

笑顔で握り返せるように乗り越えていきます。


本当にありがとうございます。


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3月12日付、毎日新聞4面記事より転載させていただきました。

奥田江利子様のことは、1面記事でも紹介されてみえます。

その記事も転載させていただきます。


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国からことばを述べるよう打診されたのは先月。


真っ先に亡くなった子供のことを思った。

「この子たちが用意してくれた場なのかな」


しかし、文案を練るため、

しまいこんだ記憶のページをめくるのは、つらかった。

智史さんの額に手を触れた時の冷たさ。

遺体安置所に通い続けた日々。

「悲惨なことばかり思い出して、くじけていました」。

1行書くたびに、涙があふれた。


津波で自宅を失い、今はアパートで1人暮らし。

週末になると、昨年7月に生まれたばかりの孫で、

智史さんの娘である梨智ちゃんが遊びに来る。

智史さんと梨吏佳ちゃん(江利子さんの長女)から

1字ずつとって命名された。


歯が生え始め、笑顔は智史さん似だ。

「梨智は、みんなの生まれ変わりなのよ」


悲しみは忘れられない。

でも失われた命が新たに生まれてきた命の中で

生き続けていると信じている。


ことばの最後で多くの人たちの支援に感謝し、

こう結んだ。


<さしのべてもらったその手を笑顔で

握り返せるように乗り越えていきます>


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毎日新聞より転載させていただきました。

犠牲になられた皆さまのご冥福を心よりお祈りいたします。



ごめんなさい。

お許しください。

愛しています。

感謝しています。

ありがとうございます。


いっぱいの愛と感謝をこめて

天野使音 拝