イッソー・タパ | 「野球からひろがる笑顔の輪~ネパール野球ラリグラスの会~」

イッソー・タパ

イッソータパ(23)
「ネパールに野球を。ネパールに笑顔を。」


1988・11・6生まれ ネパール・ポカラ出身

175㎝ 72キロ


ネパール人初のプロ野球選手

所属球団:関西独立リーグ 

ネパール代表キャプテン


2002年、13歳の時ネパールのポカラにてたまたまラリグラスの会の野球と出会う。


野球はネパールにない新しいスポーツ、その野球を外国人が教えてくれるという興味から野球を始める。


かわいい顔立ちをしていたので、「ぼっちゃん」というあだ名がつく。


野球を始めた時からコントロールがよく、ゲームを支配できるピッチャーが面白いという事で投手の練習を続ける。


きっちり教えてくれる指導者もいない中、独学でめきめき力をつける。


2006年日本に興味があり、ラリグラスの会で運営していた「ポカラハウス(日本語学校兼野球事務所)」で日本語も学び始める。


野球が大好きになるが、親からは「お金にならない野球はやめて、中東に出稼ぎにいって家計を助けてほしい」と言われつづける。


好きな野球でお金を稼げるようになると、親の反対を押し切って野球を続ける。(イッソーがわがままをいうのでお兄さんがイラクに出稼ぎにいく)

イッソーの同年代の友人たちは次々と中東へ出稼ぎに行くためにネパールを離れる。


練習を重ね、イッソーのボールを打てるネパール人は誰一人いなくなる。

「これからどうしたらいいのだ」というようになる。目標がなくなる。



2009年、「ラリグラスの会」10周年の機に、イッソー来日。

来日目的は主に2つ。

日本で野球修行し、学んだことをネパールに持って帰り他の選手に伝える。」

「独立リーグのトライアウトを受験し、日本人のレベルの高さを目の当たりにし、プロ野球選手になるという夢をあきらめさせる。」


やはり壁は高く、独立リーグのトライアウトも受験するが、全て不合格。

イッソーは日本人のレベルの高さに驚き、泣く。

それでもたくさん報道されたこともあり、野球の専門学校などから特待生枠のオファーもいただく。

「他の選手に学んだことを伝える。」という当初の目的通り、全てのオファーを断りネパールに帰国。「ラリグラスの会」はイッソーが帰国して1年間ネパールで頑張っていたら来年もう一度来日のチャンスを作ることを約束する。


日本人のレベルの高さを目の当たりにしたが、もっと上手くなってプロ野球選手になる!という想いが更に強くなる。トライアウトの不合格がよっぽど辛かったようで、ネパールに帰国後、走り込みや筋トレをとことん行う。またネパール人指導者として他のプレーヤーに教えながら野球も行う。


2010年10月下旬二度目の来日。

2010年11月大阪ホークスドリームと練習生契約し練習に参加。

2011年11月27日 プロ契約をする。


ネパール人初のプロ野球選手誕生。


プロでも無給であるが、本人はチャンスが広がったと大喜び。

家族の生活を助けたいという想いを胸に、2011年大阪ホークスドリームでプレーした。

9試合に登板し、0勝1敗という成績を残す。

イッソーの活躍はTVや新聞でもたくさん報道された。


シーズン終了後大阪ホークスドリームを退団。


その後関西独立リーグ新球団「06BULLS」トライアウトに合格。


2012年は06BULLSでプレーすることとなった。