諏訪瀬島を飛び立ち1時間弱で硫黄島が見えて来た。
諏訪瀬島に似た島で、中央の噴火口はわずかに噴煙をあげている。
別名は鬼が住む島の意味で「鬼界ヶ島」だ。
以前は硫黄を採掘していたらしく、噴火口までジープが通れる道があった。
この島にあるヤマハの私設飛行場も断崖絶壁の上にある。
着陸態勢に入ると数十mの崖の壁に激突するような錯覚に襲われてしまう。
飛行場は施設から離れた場所にあり、ジープが迎えに来ていた。
20分で施設に到着、さっそく支配人に着任の挨拶をした。
じいさんが来れば相手をするが、それまでは客の釣りのガイドだ。
硫黄島は磯から大物イシダイやイシガキダイ、クエ、グレが釣れる島で、釣道具一式担いで来る本格磯釣り客もいるが、新婚さんが圧倒的に多かった。
硫黄島は黒島、竹島と3島で三島村になっている。
交通手段は鹿児島港を往復する村営三島丸だけだが、ヤマハの客は空路のアイランダーか、海路のクルーザーを選択出来る。
クルーザーはヤマハの特需艇で、国内では最大の60トン級、30人乗り、船名は、昔この島に流された幼い「有王」の名をとって「有王丸」とじいさんが名付けた。
母港は屋久島一湊港にあり、他にも20トン級の「為朝丸」「諏訪瀬丸」他、数隻の漁船を保有していた。
空路では鹿児島空港から1時間弱、海路は鹿児島港から3時間だ。
為朝丸もこの島に流された源為朝の名をじいさんが頂戴したものだった。
硫黄島にちなんだ船ばかりだが、硫黄島ではなく屋久島を母校にしていた。
硫黄島には三島丸が横付けする岸壁はあるのだが常時停泊出来る港がないからだ。
屋久島にも船舶拠点の他、宿泊施設があり、硫黄島施設とセットになっていた。
新婚旅行で飛行機とクルーザーを使って両島を回ると海外旅行よりもはるかに高くつく。
当時の日本では別世界の地中海クラブみたいな夢の旅行で、屋久島のホテルは「石蕗の舎」、硫黄島は「足摺」と言い、施設も食事もサービスも最高のものだった。
航空部門も船舶部門も毎年億単位の赤字を続けていた。
儲かるはずもなく、これは感動を提供するヤマハの夢であり「じいさんの夢」なのだ。
「エピキュリアン」と言う洒落た小冊子を定期発行、財団法人ヤマハ音楽振興会関連のお客様が多かった。
楽器購入の顧客や、音楽講師などで、思い出に残る醍醐味だっただろう。
屋久島にはまだ他にはグレードの高い施設や大きなホテルはなく、硫黄島には民宿のようなものしかなかった。観光客ではなく工事関係者が多かったようだ。
集落はいかにも平家の落人部落の雰囲気が漂い、断崖絶壁に囲まれた浜の側にあった。
湾内の海と浜の色は年中茶色に染まっていた。
海底から鉄分と硫黄を含む温泉が湧いているのだ。
浜から数百m沖は綺麗な黒潮が流れ、回遊魚が濁りの中まで入って来るようだ。
小さな漁船が数隻、茶色の砂浜に小型ウインチで引き揚げられていた。