クリプキは論理学に意味を持ち込んだのか? | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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クリプキの仕事は教科書的には様相論理学のセマンティクスに成功したこととされます。

古典論理から見ると「セマンティクスに成功した」と言ってもピンと来ないのですが、様相論理学だけで見るとクリプキの偉業は光っています。

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様相論理学は歴史的にシンタックスが異常に発展しました。結果として、とてつもない数の公理系ができてしまいました。そしてそのシンタックスからつくった公理系に意味(セマンティクス)を与えても、全く収拾がつかない状態になっていました。

そこにさっそうとあらわれたのが1人の高校生です(高校生というのが驚きです。ゲーデルもアインシュタインも不確定性原理のときも特殊相対性理論を含む奇跡の年のときには若かったですが、クリプキはもっと若いです)。

すなわち、異なる様相論理の論理体系にはじめて統一的な意味論を与えることができたのが、クリプキの可能世界意味論です(possible worlds semantics)。

ですので、クリプキはシンタックスであふれかえった現代論理学に統一的な意味論を与えたということです。

クリプキの可能世界論をここで復習しながら、どのような意味論を与えたかを見てみましょう。

可能世界論はかなりシンプルです(多分)。


・まず複数の世界を考えます。それを可能世界と呼びます。
イメージしづらい場合は複数の集合を考えます。
もしくは泡がたくさんあるのをイメージします(というか僕はそうしています)。

・それらのたくさんある可能世界の1つを「現実世界」と呼びます。

・それぞれの可能世界で論理式は真理値を持ちます(もちろんその真理値は同じでも異なっていても構いません)。

余談ながら僕は可能世界というと風船や泡がプクプク浮かんでいるイメージがあります。
シャボン玉でもいいかもしれません。
そして、このシャボン玉同士を結ぶ線が存在します。
それを到達可能性と言います。accessibilityです。アクセス可能性ですね。

以上が可能世界意味論の仕込みの部分です。前提です。

ざっくり言えば、いくつもの世界(泡)があり、それは可能世界と呼ばれ、そのうちの1つが現実世界と呼ばれる。
そして、泡同士は線で結ばれていて(関係があり)、それを到達可能性と言う。
泡と関係です。点と線のようなものです。


で、様相論理学を考えます。

それぞれの泡の中における□A、◇Aの真偽を、こう考えます。
□は必然性、◇ば可能性です。

余談ですが、論理記号の覚え方を考えましょう。
□と◇は似ているので、ルービック・キューブなどをイメージします。サイコロでもOKです。
サイコロが□だったり、◇であったりします。
そして□は安定しているので必然的な感じがするので「必然性」、それに対して◇はこけてしまいそうな可能性があるので「可能性」と覚えます。


可能世界の記号はWorldの頭文字を取ってwとします。
ちなみに命題の記号はPropositionsの頭文字でPと書き、自然数の記号はNatural Numberの頭文字を取ってNです。


で、結論です。

シンタックスで「可能世界wにおいて□Aが真」とは何かと言えば、クリプキに言わせればこのような意味を持ちます。
すなわち、「wから到達可能なすべての可能世界においてAが真」

逆に、シンタックスで「可能世界wにおいて◇Aが真」とはクリプキに言わせれば、「wから到達可能な可能世界のうちどれかにおいてAが真」です。


これはかなり画期的です。

必然的とか、可能と言われても意味がよく分かりません(だからシンタックスなのですが)。ちょっとぼんやりとします。
その点、クリプキのやり方はシンプルで素晴らしいものです。

「到達可能なすべての世界でその命題が真」なら、必然的であり、「到達可能なすべての世界のうちのいずれかでその命題が真」なら「可能」というのは分かりやすいと言えます。問題をスライドさせて、きちんと明確にした印象です。

そして、この意味論をつらつらと眺めると、ふと述語論理学を思い出します。
述語論理学で追加された記号はAllとExistでした。「すべての~は~だ」と「~がある(いる)」が追加されました。

ちなみに古典論理学の命題論理学では4つの結合子を観ました。and, or, not, if-thenしかありません。
述語論理学になって、2つ増えただけです。

様相論理学も同様です。可能世界wから到達可能な可能世界のうち、「すべて」か「どれかにおいて」Aが真です。述語論理学と似ています。

このシンプルな意味論によって、様相論理学は1つの意味論に収斂されました。
これがクリプキの偉業です。恐るべしです。


逆向きに言えば、世界がこのようであることをクリプキは記述したとも言えると僕は考えています。

我々はどうしてもリニアな時間軸を想定しがちですが、可能世界(とそこへの到達可能性)が大量にある宇宙観が現実なのではないかと言うパラダイム・シフトです。

少し思い出してみれば、天動説から地動説へのパラダイム・シフトは地球中心から太陽中心への大きな転換でした。

また、アインシュタインの一般相対性理論は我々の世界がユークリッド幾何学的な世界観ではなく、非ユークリッド幾何学的であることを示したものでした。

論理学においても同じです。古典論理学の世界観は昨日も話したように神様がいらっしゃる世界観です。世界はすべて決定しているという決定論的な世界観です。リニアな世界観とも言えます。
そこから大きくパラダイム・シフトさせたのが、クリプキの可能世界意味論ではないかと僕は考えます。

(というか、むしろこれが現代の常識なのだろうと思います)