春分の日=宇宙元旦を前に、もうこれまでのいろんなことが繋がってきて、言語化が追い付かない私さくらですが、皆さまはいかがでしょうか![]()
![]()
鈴木真奈美さんのブログに、春分前に“塩風呂”に入るといいと書いてあったので、あいあい温泉へ。
ここは一見単なるスーパー銭湯なのですが、海がすぐそばのため、露天風呂はしょっぱい海水なのです。最強の塩風呂が近くにある幸せ!!!
チャポンと浸かって、沈思黙考してきたのですが、めちゃめちゃデトックス感ありました![]()
![]()
春は学生さんは進級・進学、社会人は人事異動や転勤など、大きく環境が動く方が多いですよね。
こういう自分では選べない、“人事の妙”というのは本当に天の采配なのだと実感しています![]()
何の本だったか、地上ではみんなが神様株式会社(God's Inc)の社員だというのを読んだことがあるのですが、天の人事部というのはほんとにすごいと思うのです。
英語で人事部は“Human Resources Bureau”と言う通り、人材というのはhuman resource、人的資源という日本語では無機質な響きがしますが、
人間というのは才能やギフトをいかしてこの世で活躍する、一人ひとりが素晴らしい資源なのですよね。
学校や組織のルールに合わせるのが死ぬほどストレスな私も、学校で学んだこと、そしてどこまで意図的だったのかは分かりませんが、
自民党でのお仕事での経験、これらすべての知識と経験値がいますべて統合されて、天の人事部の采配の見事さに、「参りました」というほかありません。
大学進学で、私は本当は政治学科に進みたくて、関西学院の法学部政治学科に受かって、もうここへ行く気満々で、受かったら安心して東京での試験はそんなに真剣ではなかったのですが、
青山学院の英文科も受かったとき、「やっぱり東京の大学へ行ったほうがいいのではないか」と父が言うわけです。
関学は関西では知られてるかもしれないけど、全国的には青学だろうと。それなら京都の同志社の英文科の方がいいのではと母は言い、3者の意見がバッキリ分かれてしまった。
めちゃめちゃ迷った末、最終的に私はスポンサーの意向ということもあり、東京に行くことを選んだ。青学なら、国際政経学部に行きたかったんだけど、ここは落ちてしまったので、受かった法学部か英文科の選択肢はあったけど、「青学英文科」というブランドネームを両親は喜ぶし、私もそれに従った。
国際政経に受かってればまた分かりませんが、英文科に進んで、生まれて初めて出会う女子校出身の女の子たちの生態と独特の文化に心底びっくりし、
文学作品よりもロジカルな論文を読んでる方が性に合う私は、「アメリカ文学におけるユダヤ人作家」とかいう、なんかよく分からないクラスで発表したとき、何が面白いのかさっぱり分からないし、作品を読み解くということもできず、
「君は行間が読めないのか」と教授に言われ、「書いてないものは読めません」と言い切ったやりとりはいまも私のなかでは忘れがたいエピソードで、
ほんとこの頃アスペルガーだと分かってさえいれば進路選びを間違わなかったのにと思います。
英文科では“女子校文化”になじめず、入ったサークルも閉鎖的な人間関係のめんどくささが嫌で1年で辞めて、「ほんとは関学に行きたかったのに」から始まり、本気でこの選択を呪いました。
だけどだからこそ、「このままでは嫌だ」と思ってさくらは絶対にアメリカに行こうと思ったし、本当に行くことになったのですよ。
イギリスやアメリカの文学の勉強なんてまったく面白くもなんともない。じゃあ何が好きなのか?相変わらず歴史や政治の、社会科学系の分野が好きだ。英語ももっと勉強したい。
だから青学では、選べるなかの限りから、自分の興味と関心を満たしてくれそうなクラスを選んだ。
いまはどうなのか分からないのですが、英文科は英語で卒論を書かないといけなくて、全員そうすると恐らく脱落者が出るからか、卒論を書くか、他のクラスを4つ取るかを選べたのです。
ただでさえ理解不能な文学作品を読んで英語で論文を書くなんて、私にとっては自殺行為に等しいので、もちろん私は4コマの道を選びました。
ここでラッキーだったのが、全部ではないけど「他学部のクラスでもOK」という、私にとっては願ってもない条件があったのです。
だから国際政経の授業で、異文化コミュニケーション論や、社会言語学、19世紀プロイセン統一におけるビスマルクの役割とか、そういうめちゃめちゃ面白いクラスに出会い、こういうクラスでの勉強は本当に楽しくて、水を得た魚のようにいきいきとクラスに通い、もちろん成績はAをもらえました。英文科のクラスは軒並み散々な成績でしたが。
いまは青学は4年間青山にあるキャンパスに通えますが、20年前は辺鄙な厚木キャンパスに最初の2年通わないといけなくて、本気で嫌で、青山に通い始めた3年生からは多少楽しくなったものの、それでもやっぱりアメリカに行きたくて仕方ない。
親に頼み込み、就職せずに留学の道を選んだ。当時は就職氷河期だったし、親もこれを許したんだろうと思われます。
いま考えてもすごい行動力というか、よく自分で探して願書を取り寄せ、手続きなど全部自分でやったなあと感心するのですが、「絶対に行くんだ」という意思の力と集中力で成し遂げたんだと思います。
日本の大学の単位を認めてもらうため、シラバスを英訳して提出しろと言われ、全部自分で訳して提出したのも、懐かしい思い出。ちなみにこのとき同じ留学仲間で、いろいろ相談しあっていためーちゃんは、いまも大事な大事な親友です![]()
で、どこの大学にするかというと、これまた昔から憧れていたカリフォルニアを選ばず、英語をものにするためにはとにかく「日本人がいないところ」という条件で、
学費を考えて私立ではなく公立と考え、州立大学をいくつか選んでアプライして、いちばん最初に編入学OKの通知をもらった東部のペンシルベニア州立大学に行くと決めました。
行ってみたら、ここがまたmiddle of nowhereというか、超白人社会で、学生も9割が白人、黒人やヒスパニック、アジア系なんかは超マイノリティで、日本人が少ないのはいいけど(それでも独自の“ムラ社会”が存在しており、めんどくさかったので近づかなかったのですが)、ここで私は人種の壁にぶち当たりました。
憧れの自由の国アメリカの、東部の田舎の白人社会の実態を肌で知り、自分ではどうしようもないこの姿かたちで、そのへんを歩いてるだけでめずらしい生き物を見るかのようにジロジロ見られたり、専攻した国際政治のクラスでは、太平洋戦争をめぐり心打ち砕かれるようなクラスメイトの発言があったり。
しかしそういう偏見に晒され、悔しくて、「絶対にアメリカ人に言い返してやる」と思って、英語の勉強も頑張ったし、
国籍や人種など、自分ではどうしようもない、単にこういうふうに生まれて育ってきたということで判断されるということのアホらしさを痛感したことで、「多様性の尊重」が私の思想の根幹を形成するようになったのです。
卒業を控えて、日本とアメリカのどちらで就職するか悩んだとき、90年代後半は日本の経済状況は最悪で、帰っても仕事はないだろうと思ったけど、政治の仕事に就きたいと志したなら、やはり母国の政治にかかわりたい。
そう考えて、日本で就職を探すついでに、議員事務所でインターンをしてペーパーを書けば単位がもらえるというので、留学前に少しお手伝いさせてもらった衆議院議員の事務所でまたお世話になり、春学期を終えて5月に一時帰国。
だけどもうこの時期になると、就職活動としては時季外れで、どうしようかと思いながら、お仕事を手伝いながら、時間のあるときは党本部で開かれている会議をのぞいて勉強させてもらったりしているうち、
「党本部って、どうやったら入れるんですか?」という質問を秘書さんにしていたら、「職員を募集しているよ」とファックスを見せてくれた。
それで応募して、試験を受けて、日本の就職試験の勉強なんか全然してなかったから、たぶん英語で点を稼いだおかげでペーパーの試験は通過して、最終面接を受けて、結果が出る前にアメリカに帰って、
ルームメイトに「自民党に受かったら日本に帰るし、だめだったらアメリカで探すわ」と言うと、彼女はとてもまじめなクリスチャンなので、「私はアメリカに残ってほしいけど、神様がお決めになること」というようなことを言ってくれた。
そこで私は初めてお祈りしたのです。「神様、私が日本に帰ることが運命ならば、日本に帰るように、アメリカに残ることが運命ならば、アメリカに残るようにお導きください」と。
これまで主に自分の意思で何でも決めてきたと思ってきた私が、生まれて初めて天に身を委ねた。
ちなみにこのときはまだカトリックの洗礼も受けてないし、信仰深い人々が多いペンシルベニアの田舎では、ピューリタン精神の発露なのか、「ああこの人、アジア人にも親切だな」と安心したら、何のことはない信仰の勧誘で、隙あらば教会へ連行しようとするのに嫌気が差していたし、
まじめなプロテスタントのルームメイトのように、毎日熱心に聖書を読むことは考えられなかったので、まさかその後自分がキリスト教の門を叩くとはこのときは想像もしていないのですが、とにかく生まれて初めて神様に選択を委ねた。
そしたらしばらくして、党本部に受かったと母から連絡があって、「ああ、私は日本に帰る運命なんだな」と思って、「じゃあ、日本に帰る」と即答したのですが、あれだけアメリカに行きたがっていたんだから、もう帰ってこないだろうと思っていた母は逆にびっくり。
さらにそのあと、アメリカ人のクラスメイトと恋に落ち、なんで日本に帰ると決めてしまったんだと後悔しましたが、帰国して、「母国日本の政治にかかわりたい」という夢は叶った。
そこでも厳しい現実が待っていたわけですが、それでもすべては完璧な神様のご計画であったんだなあ。。。としみじみ実感しています。
今日は「図書館の天使」の話を書こうと思ってたのに、なんでこんな話をしているんだろう。
ざっくり振り返っても、すべてが仕組まれていたかのような感じです。
クリスチャンのルームメイトなんて、最初にいたドーム(寮)を出たいなと思ってたら、バッタリ出会って「ルームメイトを探してるの」というので、「じゃあ一緒に住む?」と一瞬で話が決まったり、
日本でお世話になったインターンをさせてもらった議員はというと、さくらが党本部で最後にお仕えすることになった山口俊一先生。
そういえば父が知り合いで、そして同じ徳島というだけでなく、山口先生も青学のご出身だということで、お世話になったんでした。
父は外面は良いけど家では暴君なので、私はいまでも好きではありませんが、単なるスポンサーとしてだけでなく、彼のつながりで重要なご縁がつながったということもいくつかあり、私の人生におけるキーマンであることも確か。
なんかもう、ここまでくると恐ろしいくらい、天の采配というのは完璧であり、また人生で起きることはすべて必要なことで、それがいまの自分を形成してきたものだから、
起こることはすべて奇跡であり、自分の魂の成長に必要な人生の大切な糧(経験値)。
大天使ワラエルこと、越智啓子先生のおっしゃるとおり、「すべてはうまくいっている」し、「すべってもうまくいっている!!!」
これはハーフアメリカンさくらのよく使う“呪文”
“Everything's gonna be alright”(大好きなYellowcardの歌にのせて
)であり、
ほんとに心の底から、そう実感しています。![]()
アメリカの先生が教えてくれた「図書館の天使」の話はまた改めて![]()
![]()
“呪文”のメロディは、こちらでもまたよしです![]()
お掃除が大得意なミカエルに頼んで、手放したい感情や思い癖などをブイーンとバキュームしてもらいましょう![]()
ミカエルと千手観音さんより、ひとことメッセージ付きです
(桜のカードを郵送でお届けいたします
)
詳しくはこちら→春のさくら祭り
絵:リンゴの国のあゆみさん![]()
3月以降のご予約、受け付けております![]()
「さくらの宅急便」とは?
サービス概要とさくらの信義![]()
政治的説明→
【速報】さくら候補政策発表記者会見~「さくらの宅急便」
「ことばのおくすり」:千手観音さんからのメッセージ(よく効きます
)
ご好評いただいた“さくらの宅急便”
の進化形☆
コンシェルジュ
さくらは、世の中のあらゆるご相談に対応し、お客様の魂の喜びと幸せをサポートいたします(→How may I help you?)
ドラクエをやったことがある方は→スーパースター
さくら
【対面セッション】徳島市内のカフェ、遠足セッション
【遠隔セッション】“さくらの宅急便”
(メールでお届けいたします)
おたより&お申込みはこちらまで![]()
→newpalace.love☆gmail.com(☆を@に変えてください)



