第五章 愛の炎とファーストキス 2 | カルシファーに愛を込めて

第五章 愛の炎とファーストキス 2


景色を見ながらルチアは手袋を外して、かじかんだ手に息を吹きかけていました。


カルシファーはルチアのそばに近づいてきて、やっと口を開いたのです。

「手が冷たいのかい?」


「うん。でもカルシファー、こんな寒いところで薪も食べずにいて、あなたこそ大丈夫なの? 今日は私、こんぺいとうは持ってきてないのよ」


「大丈夫だよ。あと少しならね・・・それよりルチア、おいらに触ってみたいって言ってたろ?」


「ああ、あの日のことでしょ。しつこく手を出したものだから、暖炉の中からあなたにこっぴどく怒られたのよね。わたしも悪かったと思っているのよ。でも正直のところ、ちょっと傷ついたわ」

ルチアは思い出して寂しそうに笑いました。


カルシファーの方は笑ってなどいません。
ただ真剣な顔でルチアを見つめているのです。



「手を伸ばしてもいいよ・・・おいらが暖めてあげる。その・・・いや、ちょっと触ってみるくらいなら試してみたっていいけど・・・その代り火傷をしたっておいらのせいじゃないけどさ。あんたが触りたいって言ってたんだから、自己責任でやってくれよ」

ルチアはびっくりして炎を見つめました。


こんなことを自分から言ってくるなんて、いったいどういう風の吹きまわしなのかしら?



カルシファーの蒼い火は枯れた芝生と黒々とした木々を背景にすると、まるで輝くリンドウの花のように見えました。


ちょっとツンとしたそぶりをしているところがますますリンドウっぽいとルチアは思いました。



彼女は両手をその禁断の花に向かっておずおずと差し出しました。
そのかじかんだ指が炎に触れた時、彼女は突き刺すような熱さを感じたのですが、手をひっこめようとはしませんでした。


何故なら、それはちょうど冷え切った体で温度調節もできていないお湯が入った風呂に入ったような感覚と似ていたからで、決して身の危険を感じさせるような感覚ではなかったからだったのです。

彼女の指はちょっと後ずさりをしながらまた近づいて・・・だんだん炎の底が手のひらに密着していきます。



やがて完全にルチアの手の上に座ったカルシファーは、しばらくの間ずっと真剣な顔のまま彼女をを黙って見つめていたのですが、とうとう話しかけてきました。

「どう? おいらに触れて嬉しいかい?」


「カルシファー・・・ずっとこのままでいられるのならそうしていたいわ」


思わず顔にさっとバラ色がさす炎。
もう悪魔じみた意地っ張りもひねくれも貫き通すことができなくなっていました。



おいら、ハウルに言わせればまさに腰抜けっていう感じに見えるんだろうな。
でも今はおいらのことなんか誰も見ていないんだから、別にかまやしない。



「良かった! 最初は手を冷たくしてもらえば、あんたがおいらに触りやすいかなぁなんて思ってね。こんな寒い所に連れてきたりしてごめんよ」


手の中の蒼い炎は嬉しそうに揺れながらルチアを見上げています。



手のひらに炎!



何だか夢を見ているような光景でした。


「じゃぁ、おいらの熱について大事な・・・その、取り決めをしようか。あんたと一緒にいるときに、どこまで気を楽にしていいんだか、おいらにはまだよくわからないんだ」



ルチアはまたもやカルシファーの誘いにびっくりしています。


カルシファーは今日だけの特別な機会だけではなくて、きっといつでも望んだ時には触れさせてくれるつもりでこう言ってくれているに違いないのです!


ルチアは幸せそうに微笑んで・・・そして真剣な顔になってうなずきました。



ルチアの手がすっかり普段の温かさを取り戻した段階で、なお炎としてのカルシファーの存在を心地よく認識できる温度の下限と上限が、二人のささやき合う声と、炎の顔色とルチアの手つきによってだんだんと決められていきました。


それはただ単なる炎の温度設定ではなくて、何かもっと深い、二人の体と思いの波長による認識に基づいて、成されていったもののようでした。



やがて二人で取り決めた初めてのルールが成立したとき、やっとお互いの顔に笑顔がこぼれました。


ルチアは片手でカルシファーの体を支え、もう片手で静かに炎を撫でてみたのです。

「実体があるように見えるけれど、やっぱりないのね・・・それでいてこんなに熱くてふわふわしてて・・・お顔にも熱の起伏があるし・・・やっぱり触ってみると気持ち良いなって感じるのよ」


カルシファーは笑いそうな声で言います。
「おいらに実体があったら、自由に動けなくなるじゃないか!」


ルチアもふふっと笑って続けました。


「それはそうだわ。暖炉の外に出たあなたは普通の火ではなくて、命の火になるのよ。東洋では幽体っていう呼び方をしていたわ。それを信じることができさえすれば、私はあなたの炎に触れることができるのね。今わかったの。でもわたし、あなたに一度でいいからキスしてみたいって言ったはずよ。今ならそれができそうな気がするわ」



その言葉を聞いて、カルシファーはまるで鳩のように慌ててルチアの手の間から飛び出しました。



嬉しさと恥ずかしさがサッと自分の中を駆け抜けていったかと思えば、おいらは悪魔だ、恋愛などにうつつをぬかしてて良いのか、道を外れることになってしまうのではないかという不安が襲ってきます。


おまけにキスなんかされたら途端に自分が変わってしまって、何か別者になってしまうのではないかという切羽詰まった恐怖まで湧きあがって来ました。


炎はそれらの複雑な感情に大きな津波のように翻弄されて、まるで木の葉のようにあちこち落ち着かなげに飛び回っています。



「お願い、私の手の上に戻ってきて」


ルチアは泣きそうな声で呼びかけました。


「キスなんかしなくてもいいよ! おいらは火の悪魔なんだぜ。孤独に生きるのが流儀なんだ。恋だの愛だの、そんなのは必要ないね」


カルシファーは必死になって、最後の強がりを叩きました。


ルチアはまっすぐに炎の光を見据えて、澄んだ声で叫ぶようにこう言います。



「いいえ。必要だわ! この世のすべての分子は、愛がないと結集できないってどこかの国の哲学者が言ってたわ。悪魔の中にも愛があるし、天使の間にも憎しみが生まれるものなのよ。ツァプファン国の師匠だって言ってたわ。東洋の哲学でも、この世は陰と陽っていう正反対の力が対になっていて、作用し合ってでできているから、体の中の陰と陽の力のどちらかが欠落したら、生命は存続できなくなるんですって。誰だって・・・たとえ悪魔でも天使でも、この世で生きていこうと思うなら、よっぽどのヘソ曲がりか石頭でもない限り、決して孤独ではいられないものだと思うわ」



カルシファーは空中で揺れるのを止めて、とうとううつむいてしまいました。

兄弟や仲間たちと一緒ではあったけれど、それぞれが孤独で漆黒の虚空を漂い続けた長い虚無の年月・・・


将軍からポートヘイヴンの湿原に流刑処分にされた時の絶望・・・
ハウルとの取引と胸を引き裂くような辛さ、わびしさの日々・・・


ソフィーが来たのちは二人にこき使われ・・・


そして口にこそ出さなかったけれど、目の前でハウルたちの甘い万年新婚生活を見守りながら抱いた羨望と、自分には無関係だと思ってきた片意地・・・。


そうだ、片意地!


自分はずっとやせ我慢をしてきたに過ぎなかったのかもしれないと気づいたのです。



「ね、カルシファー、お願い。愛されることを怖がらないで、あなたの中にわたしを受け入れて」

熱い胸から湧き上がってきて、自分に懇願するかのように呼びかけてくるルチアの優しい声に、カルシファーのかたくなな片意地はついに崩れてしまったのです。


炎は震えて硬い表情を浮かべたまま、ぎこちない動きでルチアの両手の中に再び静かに舞い降りました。