精神科病院の夏祭り | kyupinの日記 気が向けば更新

精神科病院の夏祭り

精神科病院は、この時期、特に規模の大きい病院では本格的な夏祭りが開催される。

僕がまだ研修医の頃、偶然、夏祭りの日に日勤と当直を任された。夏祭りでは盆踊りがあるだけでなく、本当のお祭りのような出店もあり、最初観た人は少し驚くものだ。

実際、綿菓子、お好み焼き、たこ焼き、焼きトウモロコシ、金魚すくいまであった。若い女性患者さんなどは浴衣を来て参加しており、家族会の人や近所に住んでいる人も参加できるので、夏休みの小学生も多く大変な賑わいである。お祭りの最後くらいには花火をしていたような気がする。

この「近所の人も参加すること」は、個人情報の保護やスティグマの問題もあり、好ましくないと思うかもしれない。これはずいぶん昔だからそうだったわけではなく、現在でも、

国や地方自治体などからも、そのような地域住民の参加は推奨されているのである。

うちの病院でもそのタイプのお祭りやクリスマス会には、毎回ではないが地域の人たちを招待している。

地域の人に、近所にある精神科病院がどのようなことをやっているのか全くわからないと、理解されにくい。

開放病棟に入院中の患者さんたちは、時々、コンビニ、ディスカウントストア、大型店舗の電器店に買物に出かける。その患者さんたちがどんな風なのか、地域の人がわからないよりは知っていてもらったほうが良い。その方が、精神科病院があることに対し、地域の人の不安がいくらかでも減るのである。

そのようなこともあり、入院患者さんが外出する際に服装などがあまりにも奇妙と思う場合、もう少し自然に見えるように指導するようにしている。変な格好でスーパーなどに行くと、すぐに精神科の入院患者と思われるようでは困るからである。

よく思うが、精神症状が良好な人は姿勢がよい。

結局、精神科病院は一般人のイメージとは少し異なっていることがわかるだけでメリットがあるのであった。

このような地域との交流を通じて、例えば共同住居やグループホームを造る際に、地域の抵抗が少しは減る。少しは減るものの、反対されるのが普通である。その理由だが、そのグループホームなどにどのような精神病状態の人が入るのかよくわからないからである。

精神障害者に対するスティグマは意外に地域差があり、それは医療観察法病棟の分布を見てもわかる。例えば医療観察法の指定入院医療機関は北海道にはない。四国4県にも設置されていない。

そのため、北海道の人は関東やそれ以遠の地域に入院していることも稀ではないのである。これは本来の理念、つまり入院から通院治療に至る一連の精神医療が円滑に行いにくいことを示している。本人が住んでいた場所と遠く離れている県で医療を受けて、それからどうするんだ?という話にもなる。

医療観察法病棟の建設には、いかなる僻地であれ、住民の大変な反対運動が起こることがよくわかる。(北海道なんて、人里はなれた場所なんていくらでもあるように思うが)。

さて、一般の精神科病院のグループホームや共同住居の話に戻るが、わりあい理解されているように見えても土地の取得も簡単ではない。精神病院には地域の人は土地は売らないからである。

なんとか土地を取得した場合、地域の人に説明をしなくてはならない。ここでまず反対が起こる。

そのようなものが建てば、子供を安心して外で遊ばせられない。

くらいは言われる。しかし、実際は今でも入院患者さんは外出して食事をしたり買い物をしているので妙な話ではある。

少なくとも入院患者より、グループホームに入所する患者さんの方が病状は軽いのが普通だ。だいたい、地域住民がそこに住み始める大昔からその精神病院はあったのである。

国は入院病床を減らすために、退院させ地域で精神病患者をみるように推奨しているが、言うほど簡単ではないのがわかる。

むしろ、単純にアパートを借りて住むように段取りを取る方が遥かに簡単である。これは過去ログに記載しているが、国民の高齢化や少子化などで、古いアパートの空室が非常に多いことも関係している。アパートに退院させる場合、近辺の人の承諾をとる必要はない。

過去ログでは、高齢の統合失調症の人たちが亡くなっていくと、自然に統合失調症の入院患者さんが減り、実入院数は減るのではないかと記載している。ただし、現在認知症の受け皿になる医療機関、介護施設が不足しており、認知症の高齢の患者さんが精神科病院に増える傾向がある。

その理由だが、老人を広く受け入れている病院は在院期間に制限があるからである。精神科の場合、その制限がないため、認知症の患者さんでも亡くなるまで入院することが可能である。

しかしながら、そのような車椅子や寝たきりに近い高齢者ばかり入院させた場合、看護師やケアワーカーの人の数が相対的に不足し現場がハードになる。元々、精神科病院は診療報酬的にも、そのような患者ばかり診られるような医師数や看護師数を要求していないからである。

イタリアでは精神科病床がない理想郷のように語られることがある。しかし、緊張病症候群(特に興奮状態)の人を持ったことがある家族ならわかるが、病状が重い場合、入院させないと自分たちの生活が成り立たない。

イタリアではそのレベルの病状の人は、お金持ちでは先進国の精神科病院になんとか入院させ、お金のない人はなんとか苦労して自分たちで面倒をみるか、医療費が安い東欧の精神科病院に入院させているようである。(という話。僕も詳しくはない)。

過去ログではルーマニアのECTの話とその精神科病院のアメニティの乏しさなどに触れている(参考)。

またイタリアの教会や修道院のような施設?で、精神病と思われる患者さんを受け入れているような場面を、ディスカバリーチャンネルかナショジオで観た。

その映像では、最初エクソシストの神父のような人が悪魔祓いをしており、口から多くの釘や色々な異物が吐き出された。しかし、その少女の精神病状態は回復しなかったらしい。その後も長く修道院内に収容されていたようである。

普通、精神病状態が悪すぎる場合、航空機に乗れない(←重要)。そのような場合、家族同伴であっても飛行機では移動できないのである

イタリアは隣国と陸続きなのが恵まれている。車で移動できるからである。イタリアはサルディニア島など島もあるが、船は中の空間も広く、墜落がないので、そのような理由であればなんとか乗せてもらえるように思う。(同伴の家族が大変だが)

もしイタリアが、イギリスのように島国であったなら、「精神科病床なしの医療行政」はかなり難しかったと思われる。

イタリアのイタリアらしいと思うことの1つに原子力発電の政策がある。

イタリアはチェルノブイリ原子力発電所の事故以降、原子力発電所の稼動を停止し、今もそのままである。数年前まで、CO2問題もあり再稼動の予定もあったが、福島第一原子力発電所の事故以降、国民投票が行われ恒久的に原子力発電は行わないことになった。チェルノブイリ以降、イタリアでは原子力発電の専門家も非常に減少しているらしい。

イタリアの主なエネルギーは火力発電所から得ており、不足するため全体の14%程度を輸入に依存している。経済発展とともに電力が不足し、2003年には大停電が起こる事故が起こった。そういうこともあり、EU内ではイタリアは最も電気料金が高いという。(そんな風なことをしているから財政危機になるんだと思う。電気料金が高くなると製造業では全てが高コストになり、競争に負けやすい。)

イタリアは、スイスや特にフランスから電力を輸入している。フランスは極めて原子力発電の割合が大きい国として知られている。

自分の国は原子力発電をしていないのに、原子力由来の電力を他国から買うという感性には、僕は少しだけついていけない。人はリスクを負っても良いが、自分はしないという感覚に。

フランスがまずありえないが、大きく政策を変更した場合、満足に電力を輸入できない事態もないとはいえない。その場合、イタリア経済は破綻するであろう。イタリアは基本的に、国防というか国民の安全保障というか、その辺りの感覚が欠けている。

枢軸国で、最初に降伏するはずだよ、と思う。(サッカーは強いけどね)

イタリアの「精神病院がないこと」と「原子力発電所がないこと」は同じような国民の感覚から生じていると思う。

参考
木箱ECTとサイマトロン
リスパダールコンスタとネオペリドール&フルデカシン