インコと文鳥との楽しい遊び方
僕の家庭は自分以外すべて動物好きだったこともあり、小さな頃から家の中にいつも動物がいた。動物好きとはいえ、うちの家族は犬派であり、ネコは未だかつて飼ったことがない。これはネコが嫌いというより、家の中に必ず小鳥がいたのが関係していると思う。
ずっと小さい頃はスピッツとカナリヤを飼っていたという。このスピッツだが、今や年代モノになっており、あまり飼われなくなっている。やたら鳴くし、うるさい犬なので現代向きではないのだろう。スピッツは高級感がなさ過ぎる。
家でカナリヤを飼っていた頃はかすかに憶えていて、橙色か黄色だったような気がする。カナリヤは気品が高く、囀りの声色が良い。しかし手乗りにはならないので、そこが大きな欠点ではあった。うちのオヤジはとても器用な男で、針金を買ってきて自作で鳥籠を作っていた。完成後、ペイントまでするのである。
カナリヤを飼っていた頃は十姉妹も飼っていたが、カナリヤに比べてあまり見栄えがしないと思った。今から考えると、十姉妹は同じ小鳥でも、インコや文鳥に比べかなり小型の鳥であった。十姉妹はやたら卵を産み、子供を増やすのでそういう楽しみはあった。仲間が増えるのはあっという間なのである。僕のオヤジはそういう増えた十姉妹やカナリヤをペットショップに売っていた。1羽どのくらいで引き取ってくれるか聞いたら、どうでも良いような安い値段だった記憶がある。
こういう風に家にいつも動物がいると、旅行がしにくいのである。だいたいオヤジは旅行が嫌いな男だったし、動物の関係で長く留守にはできなかった。ある時、オヤジの実家に4~5日くらい行ったことがあった。いつも気を付けていたのに、その時に限って餌を十分に入れていなかった。帰ってみると、全員餓死していたのである。この時の大きな原因は、オヤジがいつも1日分ぴったりしか餌をやらなかったことが大きい。翌日からもう食料が枯渇したのである。
そのうち、カナリヤ、十姉妹は飼われなくなった。手乗りにならないからである。そのうち、家に文鳥の雛が来た。これは方言かもしれないが、「ドビンゴ」と言われた。羽も揃っておらず、どちらかというとみにくいと思った。これを雛の頃から餌をやり真心込めて育てると、晴れて手乗りになるのである。文鳥は白文鳥と桜文鳥(黒文鳥?)がいるが、なぜかうちでは白文鳥しか飼われなかった。(1羽だけ桜文鳥を育てたことがある)僕は、桜文鳥もなかなか美しいと思う。
手乗り文鳥を家で飼った人ならわかるが、手乗りだと文鳥はわりあい事故死するのである。うちの中で次々と死亡事故が起こり、その度に次の雛が来た。うちの親たちは文鳥が死んだら、すぐに新しい雛を買ってきていた。
死亡に僕がからんだことが1度だけある。手乗り文鳥はたぶん手乗りでない文鳥より圧倒的に飛ばない。床をピョンピョン飛び跳ねて移動するのである。これは人を真似ているのかもしれない。もちろん飛ぶこともできるのであるが、家族をみんな親と錯覚しているためか、床を跳ねながら人について来る。ある時、文鳥が僕の後にピョンピョン跳ねてついて来ていたらしい。僕がドアを閉めた時に、ドアに体を挟まれたのであった。死亡するまで10秒もかからなかった。
漠然とした事故死はもっとあった。まだ雛の頃だが、とても寒い日に少し温めようとコタツに入れたまま忘れて・・気がついて見てみたら、もちろん全員死亡である。あと、文鳥が独りでお風呂に行って、水と遊んでいるうちに溺死というのもあった。後年、僕の母親が掃除機に吸い込んで死亡という悲しい事件もあったらしい。
死んだ日は気持ちはお通夜になるが、いちいちこのようなことで悲しんでいてはダメなのだという。そんな風にペットショップのオヤジが話していた。そのオヤジによれば、死んだらゴミ箱にポイっと捨てられるくらいでないとやってられないらしい。その後も2代目、3代目といった感じで育てていたが、みんなどの文鳥も微妙に性格が違った。同じように育てていても、性格が良い文鳥と、少し気性が荒い文鳥がいるのである。一度だけ桜文鳥を育てたが、気性が荒く全然かわいげがなかった。その後、「桜文鳥はもういっか・・」という感じになったのである。
これは今から考えると遺伝子のせいだと思われる。だって子供でも、見ていると1歳半から2歳くらいでおっとりしているとか性格の特徴が表れる。誰も教えていなくても。あれと同じだ。
深く慣れる文鳥と、そこまでない文鳥がいるが、それでもインコに比べたら全然違っていた。インコは手乗りでも文鳥ほど深くは慣れない。僕の家では長いこと文鳥だけ手乗りとして育てていたので、後でインコが来てその手乗りとしての資質の悪さに呆れた。
文鳥であるが、うちの妹は決していじめないので最も慣れていた。母親はよく握り締めすぎるので、いじめると言えばいじめるのであるが、まあ慣れていた。僕はよくおしおきをしていたので、できれば近寄らない方が良いと思っている感じだった。それでも文鳥は気が緩むと脳がそうなっているので、僕の手に乗って来ていた。最も謎な男はオヤジであった。オヤジは決していじめることはなく、しかも超がつく動物好きなのに文鳥にさほど好かれなかった。これは子供も同様だったので、たぶん業みたいなものだと思う。
文鳥はよく観察するといろいろな体の特徴がある。顔の頬あたりの毛をよりわけて見ると両方に穴が開いており、僕は当時これを耳だと思っていた。あと、尻尾の根元辺りに油のたまっている小さな器官があって、よく見ていると、クチバシでこれを突付きつつ羽繕いをしている。たぶん、羽の防滴のためにあるのだろうと思った。あれがないと水を撥ねないので、ずぶぬれになって雨の日に長時間飛べないのだろう。
文鳥の爪であるが、よく見るとじつに爪先まで血液が通っている。しかし、手乗りの場合、肩などに乗った時、この爪が痛いのである。だから時々、手に乗った時にすかさず捕まえて爪を切ってやらないといけない。しかし先の方まで血管が来ているために、しばしば深爪し過ぎて流血戦になった。流血した場合、やはり血液量によれば彼らにとっては大きいものであるし、傷からバイ菌が入るのもまずい。そういう時は、もう一度嫌がるところを捕まえて爪の傷をライターで焼いてやった。本人は大騒ぎである。
僕はコタツで寝ていた時に手乗り文鳥がやってきて、しばしば肌のホクロを突かれた。文鳥のクチバシは尖っており柔らかいところを突かれると相当に痛い。そういう時、すかさず手を伸ばしてキャッチする。
「飛んで逃げれば良いのに、バカなやつ・・」
彼らはすぐに走って逃げるので、簡単に捕まえられてしまうのであった。数回往復ビンタをして満期釈放する。この時、妹か母親に「あいつにいじめられた」と言いつけに行くのである。妹などのところに行き、首を振りながら「プルルルルルルルルル・・・」と鳴くのであった。こういう知能の高さはたいしたものだと思う。
インコはこのようにはいかない。なんだかんだ言ってインコはそこまでは慣れないのである。雛の時から真心込めて育てても、なかなか手に乗ってこなかった。肩などには簡単に乗るのであるが、人の手掌には乗りたがらないのである。わりあい手のひらにも乗ってきていたのは妹だけであった。
「おまえ、手乗りを返上しろ」
一時期、インコと文鳥が同時にいたが、手乗り文鳥は簡単に捕まえられて、しかも水洗いもできた。だから、いつも文鳥は清潔なのである。僕は面白いので、よく文鳥を捕まえ流水で揉み洗いしていた。もちろん、本人は大騒ぎである。ところが、インコは警戒心が強く決して手に乗ってこないため、水洗いすらできない。
インコは水で揉み洗いできません(←重要)
そういうこともあり、インコは文鳥に比べ臭かった。インコはインコ臭いのである。インコはクチバシでついばむことが好きなので、何か大事なものを齧ることがあった。そういう時にオシオキができない。ただインコの場合、クチバシの先が曲がっているので、突かれて痛いことはなかったな。噛み噛みされるとくすぐったいだけだ。インコは手乗りでも家の中でなんとなくマイペースで暮らしており、いつも独りで遊んでいた。インコはたぶんB型性格なんだと思う。インコの血液型は知らないけどね。
インコは手乗りで育てていると、やがて喋るようになる。うちのインコは家族のかわいがり方が半端ではないので100%喋るようになった。しかし、インコは喋るとは言ってもしょせんオウム返しであり、知能が高いとは言い難かった。普段の様子を見る限り、インコより文鳥の方がどうみても知能が高い。これはインコが喋ることもあり、一見、逆に見える。
文鳥は自分がいじめられた場合、他の家族に言いつけに行くし、他の小鳥をかわいがっていると、それに嫉妬もするのである。そういう細やかな心の動きがインコには見えない。インコは相当にバカか、あるいは感覚が鈍いか、無頓着なのだと思う。
文鳥は時々自分の足で首のあたりをカリカリしている。これは犬にも同じ動作があるし、オーストラリアに行ったときコアラにも同じ動作があるのを発見しちょっと驚いた。文鳥が高速でカリカリしていた時、さっと捕まえて、僕が代わりに首を掻いてやった。本人はもちろん嫌がりまくりである。直後、他の家族のところに避難し、「あいつがまたやった」と言いつけるが、そんな時は目が三角になっているらしい。こういうオシオキを度々すると、警戒心が強くなり性格がきつくなる。何度、妹に文句を言われたことか。一般には文鳥は気性が激しい小鳥に入るらしい。
そういえば、バッチフラワーは動物にやっても性格がやさしくなるという。僕の患者さんが言っていたが、バッチフラワーをネコにやっていると、気性がやさしくなり目や顔が丸くなるらしい。
はて? ネコの顔はもともと丸くなかったかな?
それはそうと、こういう風にガキの頃から、無理やり動物と一緒にいたために、僕はこうなった部分が相当にある。動物は情操教育に良いと言うが、むしろ動物の観察眼が良くなるのではないかと思っている。
ずっと小さい頃はスピッツとカナリヤを飼っていたという。このスピッツだが、今や年代モノになっており、あまり飼われなくなっている。やたら鳴くし、うるさい犬なので現代向きではないのだろう。スピッツは高級感がなさ過ぎる。
家でカナリヤを飼っていた頃はかすかに憶えていて、橙色か黄色だったような気がする。カナリヤは気品が高く、囀りの声色が良い。しかし手乗りにはならないので、そこが大きな欠点ではあった。うちのオヤジはとても器用な男で、針金を買ってきて自作で鳥籠を作っていた。完成後、ペイントまでするのである。
カナリヤを飼っていた頃は十姉妹も飼っていたが、カナリヤに比べてあまり見栄えがしないと思った。今から考えると、十姉妹は同じ小鳥でも、インコや文鳥に比べかなり小型の鳥であった。十姉妹はやたら卵を産み、子供を増やすのでそういう楽しみはあった。仲間が増えるのはあっという間なのである。僕のオヤジはそういう増えた十姉妹やカナリヤをペットショップに売っていた。1羽どのくらいで引き取ってくれるか聞いたら、どうでも良いような安い値段だった記憶がある。
こういう風に家にいつも動物がいると、旅行がしにくいのである。だいたいオヤジは旅行が嫌いな男だったし、動物の関係で長く留守にはできなかった。ある時、オヤジの実家に4~5日くらい行ったことがあった。いつも気を付けていたのに、その時に限って餌を十分に入れていなかった。帰ってみると、全員餓死していたのである。この時の大きな原因は、オヤジがいつも1日分ぴったりしか餌をやらなかったことが大きい。翌日からもう食料が枯渇したのである。
そのうち、カナリヤ、十姉妹は飼われなくなった。手乗りにならないからである。そのうち、家に文鳥の雛が来た。これは方言かもしれないが、「ドビンゴ」と言われた。羽も揃っておらず、どちらかというとみにくいと思った。これを雛の頃から餌をやり真心込めて育てると、晴れて手乗りになるのである。文鳥は白文鳥と桜文鳥(黒文鳥?)がいるが、なぜかうちでは白文鳥しか飼われなかった。(1羽だけ桜文鳥を育てたことがある)僕は、桜文鳥もなかなか美しいと思う。
手乗り文鳥を家で飼った人ならわかるが、手乗りだと文鳥はわりあい事故死するのである。うちの中で次々と死亡事故が起こり、その度に次の雛が来た。うちの親たちは文鳥が死んだら、すぐに新しい雛を買ってきていた。
死亡に僕がからんだことが1度だけある。手乗り文鳥はたぶん手乗りでない文鳥より圧倒的に飛ばない。床をピョンピョン飛び跳ねて移動するのである。これは人を真似ているのかもしれない。もちろん飛ぶこともできるのであるが、家族をみんな親と錯覚しているためか、床を跳ねながら人について来る。ある時、文鳥が僕の後にピョンピョン跳ねてついて来ていたらしい。僕がドアを閉めた時に、ドアに体を挟まれたのであった。死亡するまで10秒もかからなかった。
漠然とした事故死はもっとあった。まだ雛の頃だが、とても寒い日に少し温めようとコタツに入れたまま忘れて・・気がついて見てみたら、もちろん全員死亡である。あと、文鳥が独りでお風呂に行って、水と遊んでいるうちに溺死というのもあった。後年、僕の母親が掃除機に吸い込んで死亡という悲しい事件もあったらしい。
死んだ日は気持ちはお通夜になるが、いちいちこのようなことで悲しんでいてはダメなのだという。そんな風にペットショップのオヤジが話していた。そのオヤジによれば、死んだらゴミ箱にポイっと捨てられるくらいでないとやってられないらしい。その後も2代目、3代目といった感じで育てていたが、みんなどの文鳥も微妙に性格が違った。同じように育てていても、性格が良い文鳥と、少し気性が荒い文鳥がいるのである。一度だけ桜文鳥を育てたが、気性が荒く全然かわいげがなかった。その後、「桜文鳥はもういっか・・」という感じになったのである。
これは今から考えると遺伝子のせいだと思われる。だって子供でも、見ていると1歳半から2歳くらいでおっとりしているとか性格の特徴が表れる。誰も教えていなくても。あれと同じだ。
深く慣れる文鳥と、そこまでない文鳥がいるが、それでもインコに比べたら全然違っていた。インコは手乗りでも文鳥ほど深くは慣れない。僕の家では長いこと文鳥だけ手乗りとして育てていたので、後でインコが来てその手乗りとしての資質の悪さに呆れた。
文鳥であるが、うちの妹は決していじめないので最も慣れていた。母親はよく握り締めすぎるので、いじめると言えばいじめるのであるが、まあ慣れていた。僕はよくおしおきをしていたので、できれば近寄らない方が良いと思っている感じだった。それでも文鳥は気が緩むと脳がそうなっているので、僕の手に乗って来ていた。最も謎な男はオヤジであった。オヤジは決していじめることはなく、しかも超がつく動物好きなのに文鳥にさほど好かれなかった。これは子供も同様だったので、たぶん業みたいなものだと思う。
文鳥はよく観察するといろいろな体の特徴がある。顔の頬あたりの毛をよりわけて見ると両方に穴が開いており、僕は当時これを耳だと思っていた。あと、尻尾の根元辺りに油のたまっている小さな器官があって、よく見ていると、クチバシでこれを突付きつつ羽繕いをしている。たぶん、羽の防滴のためにあるのだろうと思った。あれがないと水を撥ねないので、ずぶぬれになって雨の日に長時間飛べないのだろう。
文鳥の爪であるが、よく見るとじつに爪先まで血液が通っている。しかし、手乗りの場合、肩などに乗った時、この爪が痛いのである。だから時々、手に乗った時にすかさず捕まえて爪を切ってやらないといけない。しかし先の方まで血管が来ているために、しばしば深爪し過ぎて流血戦になった。流血した場合、やはり血液量によれば彼らにとっては大きいものであるし、傷からバイ菌が入るのもまずい。そういう時は、もう一度嫌がるところを捕まえて爪の傷をライターで焼いてやった。本人は大騒ぎである。
僕はコタツで寝ていた時に手乗り文鳥がやってきて、しばしば肌のホクロを突かれた。文鳥のクチバシは尖っており柔らかいところを突かれると相当に痛い。そういう時、すかさず手を伸ばしてキャッチする。
「飛んで逃げれば良いのに、バカなやつ・・」
彼らはすぐに走って逃げるので、簡単に捕まえられてしまうのであった。数回往復ビンタをして満期釈放する。この時、妹か母親に「あいつにいじめられた」と言いつけに行くのである。妹などのところに行き、首を振りながら「プルルルルルルルルル・・・」と鳴くのであった。こういう知能の高さはたいしたものだと思う。
インコはこのようにはいかない。なんだかんだ言ってインコはそこまでは慣れないのである。雛の時から真心込めて育てても、なかなか手に乗ってこなかった。肩などには簡単に乗るのであるが、人の手掌には乗りたがらないのである。わりあい手のひらにも乗ってきていたのは妹だけであった。
「おまえ、手乗りを返上しろ」
一時期、インコと文鳥が同時にいたが、手乗り文鳥は簡単に捕まえられて、しかも水洗いもできた。だから、いつも文鳥は清潔なのである。僕は面白いので、よく文鳥を捕まえ流水で揉み洗いしていた。もちろん、本人は大騒ぎである。ところが、インコは警戒心が強く決して手に乗ってこないため、水洗いすらできない。
インコは水で揉み洗いできません(←重要)
そういうこともあり、インコは文鳥に比べ臭かった。インコはインコ臭いのである。インコはクチバシでついばむことが好きなので、何か大事なものを齧ることがあった。そういう時にオシオキができない。ただインコの場合、クチバシの先が曲がっているので、突かれて痛いことはなかったな。噛み噛みされるとくすぐったいだけだ。インコは手乗りでも家の中でなんとなくマイペースで暮らしており、いつも独りで遊んでいた。インコはたぶんB型性格なんだと思う。インコの血液型は知らないけどね。
インコは手乗りで育てていると、やがて喋るようになる。うちのインコは家族のかわいがり方が半端ではないので100%喋るようになった。しかし、インコは喋るとは言ってもしょせんオウム返しであり、知能が高いとは言い難かった。普段の様子を見る限り、インコより文鳥の方がどうみても知能が高い。これはインコが喋ることもあり、一見、逆に見える。
文鳥は自分がいじめられた場合、他の家族に言いつけに行くし、他の小鳥をかわいがっていると、それに嫉妬もするのである。そういう細やかな心の動きがインコには見えない。インコは相当にバカか、あるいは感覚が鈍いか、無頓着なのだと思う。
文鳥は時々自分の足で首のあたりをカリカリしている。これは犬にも同じ動作があるし、オーストラリアに行ったときコアラにも同じ動作があるのを発見しちょっと驚いた。文鳥が高速でカリカリしていた時、さっと捕まえて、僕が代わりに首を掻いてやった。本人はもちろん嫌がりまくりである。直後、他の家族のところに避難し、「あいつがまたやった」と言いつけるが、そんな時は目が三角になっているらしい。こういうオシオキを度々すると、警戒心が強くなり性格がきつくなる。何度、妹に文句を言われたことか。一般には文鳥は気性が激しい小鳥に入るらしい。
そういえば、バッチフラワーは動物にやっても性格がやさしくなるという。僕の患者さんが言っていたが、バッチフラワーをネコにやっていると、気性がやさしくなり目や顔が丸くなるらしい。
はて? ネコの顔はもともと丸くなかったかな?
それはそうと、こういう風にガキの頃から、無理やり動物と一緒にいたために、僕はこうなった部分が相当にある。動物は情操教育に良いと言うが、むしろ動物の観察眼が良くなるのではないかと思っている。