治療マインドの重要性(一晩帰ってこなかった婦人)
これは、まだ僕が6年目頃の話。当時、総合病院の精神科で働いていたのだが、ある統合失調症の女性患者を受け持つことになった。彼女は30歳くらいだったと思う。
5~6年目というと、一通り精神科のことがわかる経験年数であり、診療にも自信が出てくる年齢でもある。統合失調症の診断についての感性は5年目くらいがピークであろうという説が、かつて僕の大学医局では語られたりしていた。なぜ5年目を過ぎると感性がやや落ちるかと言えば、より経験を積み、典型的でない患者に遭遇するから。少なくとも、僕はそう思っていた。
その女性患者さんは、何をどうしても、なかなか幻聴が止まらなかった。こういう人もたまにはいるもので、いろいろ試行錯誤していたが、幻聴だけは全然改善せず、彼女はいつも病棟で泣いていた。
今考えると、彼女はジプレキサが良かった。どうも、そういう気がしてならないのである。しかし当時は非定型抗精神病薬がなかった時代で、旧来の薬物でなんとかするしかなかったのであるが。
ある日、彼女は病棟のテーブルの横に座っていた。何か用事があり、たまたま彼女の横を僕は通り過ぎた時である。僕は、
「この人は、ずっと幻聴が止まらないかもしれないな・・」
と思った。思ったというより、「ふと、感じた」という感覚かもしれない。すると、その日の夕方、彼女はいなくなったのである。
精神病院では、このように患者さんがいなくなった場合、警察に届けなければならない。一応、病院周囲を職員で手分けして捜すのであるが、平行して病棟師長くらいが警察に届ける。もちろん、家族にもすぐに連絡するわけで、病院としては大変な事態なのである。
このような離院の場合、自宅に帰ってしまうというのが多い。しかし、彼女の場合、いつも病棟で泣いていたくらいだし、自殺のリスクも高いと言えた。時間が経っても、家に帰っていないということは、自殺をしたか、あるいは楽観的に解釈すれば、友人のところに行っているくらいの可能性が考えられた。
家にも帰っていないが、どうも自殺をした形跡もない。
なぜかというと、彼女が自殺したら僕はそれがわかるからである。
少なくとも自分の患者がいなくなっている状況(つまり精神的に集中しているということ)なら、彼女が自殺したら、それをリアルタイムで感じとれるのである。これは努力をしてそうなったわけではなく、いつの頃からかそんな風になってしまった。不思議なのだが。
翌日の昼過ぎ、突然、彼女が病院に戻ってきた。
どこに行っていたかと聞くと、山に入って一晩、木陰に座っていたのだという。女性だし嘘みたいな話であるが、彼女がそういうから、そうなのだろう。山は昼間は良いけど夜は真っ暗になるわけで、想像しただけで相当に気色悪いし、怖い感じだ。
彼女には、なぜそうしたのか、あるいは何を考えていたのか僕は聞かなかった。看護師さんたちは、カンカンであった。人騒がせなんだと。まあ、普通に考えれば、それ以上なものがあるのではないかと。
この時思った。精神科医は態度であらわさなくても、心が諦めるとそれだけでダメなのである。きっと、その理由は、精神科は人の心を扱っているからだろうと思う。
参考
聖書
聖書(後半)
5~6年目というと、一通り精神科のことがわかる経験年数であり、診療にも自信が出てくる年齢でもある。統合失調症の診断についての感性は5年目くらいがピークであろうという説が、かつて僕の大学医局では語られたりしていた。なぜ5年目を過ぎると感性がやや落ちるかと言えば、より経験を積み、典型的でない患者に遭遇するから。少なくとも、僕はそう思っていた。
その女性患者さんは、何をどうしても、なかなか幻聴が止まらなかった。こういう人もたまにはいるもので、いろいろ試行錯誤していたが、幻聴だけは全然改善せず、彼女はいつも病棟で泣いていた。
今考えると、彼女はジプレキサが良かった。どうも、そういう気がしてならないのである。しかし当時は非定型抗精神病薬がなかった時代で、旧来の薬物でなんとかするしかなかったのであるが。
ある日、彼女は病棟のテーブルの横に座っていた。何か用事があり、たまたま彼女の横を僕は通り過ぎた時である。僕は、
「この人は、ずっと幻聴が止まらないかもしれないな・・」
と思った。思ったというより、「ふと、感じた」という感覚かもしれない。すると、その日の夕方、彼女はいなくなったのである。
精神病院では、このように患者さんがいなくなった場合、警察に届けなければならない。一応、病院周囲を職員で手分けして捜すのであるが、平行して病棟師長くらいが警察に届ける。もちろん、家族にもすぐに連絡するわけで、病院としては大変な事態なのである。
このような離院の場合、自宅に帰ってしまうというのが多い。しかし、彼女の場合、いつも病棟で泣いていたくらいだし、自殺のリスクも高いと言えた。時間が経っても、家に帰っていないということは、自殺をしたか、あるいは楽観的に解釈すれば、友人のところに行っているくらいの可能性が考えられた。
家にも帰っていないが、どうも自殺をした形跡もない。
なぜかというと、彼女が自殺したら僕はそれがわかるからである。
少なくとも自分の患者がいなくなっている状況(つまり精神的に集中しているということ)なら、彼女が自殺したら、それをリアルタイムで感じとれるのである。これは努力をしてそうなったわけではなく、いつの頃からかそんな風になってしまった。不思議なのだが。
翌日の昼過ぎ、突然、彼女が病院に戻ってきた。
どこに行っていたかと聞くと、山に入って一晩、木陰に座っていたのだという。女性だし嘘みたいな話であるが、彼女がそういうから、そうなのだろう。山は昼間は良いけど夜は真っ暗になるわけで、想像しただけで相当に気色悪いし、怖い感じだ。
彼女には、なぜそうしたのか、あるいは何を考えていたのか僕は聞かなかった。看護師さんたちは、カンカンであった。人騒がせなんだと。まあ、普通に考えれば、それ以上なものがあるのではないかと。
この時思った。精神科医は態度であらわさなくても、心が諦めるとそれだけでダメなのである。きっと、その理由は、精神科は人の心を扱っているからだろうと思う。
参考
聖書
聖書(後半)