「命」って?
答えられないから
人は追うことができる。
「生きる」ことができる。
答えられない自分を、どうか責めないで。
「使命」って?
わからないから
人は人と関わろうとする。
つまり「活きる」ことができる。
人とただ交われること、
だれかとつながりを感じていられること自体に感謝してみよう。
そうして、人は答えのない旅を続けるけれど。
「ワタシノ シメイハ ナンデスカ?」
その答えを、ようやく僕は手に入れたんだ。
探しても見つからなくて、
もうあきらめかけて最後のドアをノックしたとき。
出てきた先生が、教えてくれたのが
「何をしてもいいんだよ」
という一言。
こんなに探しまわって、歩き続けて疲れている僕に
先生はかまわず笑顔でそう言ったんだ。
「何をしてもいい」って・・
でも、そのときの僕にはその意味がわからなくて。
「それがわからないから苦しんだよ」と
ますます投げやりにもなったけれど。
今の僕になら、少しはわかる。
人は、本来自由になるために生まれてきたのではないか?
そこに制限をかけているのは自分で、
そこに気づかず、答えをまわりにもとめては
「正解」を得て安心したいだけなんじゃないかって。
「間違って」失敗するのがこわくて、
その時間やお金が奪われるのがもったいなくて、
リスクはとらずに安心な正解の世界を生きていきたい。
これが、本音だったんじゃないかって。
本当に自分の人生を生きている人って、
逆に「不正解」の中を生きていたりする。
まわりに反対され、時間もお金もかかることを、
平気でやっていたりする。
僕は、先生の言っている意味、つまり
「ワタシノ シメイハ ナンデスカ」の答えが
その一言に凝縮されている気さえしてきて。
「何をやってもいい」
そう言われとき、自分がどう反応するか。
やったぁ!と素直に喜べるのか、それとも逆に不安になるのか
まずはそこを見つめることが先なんじゃないかって。
自由になる許可をおろせていないうちに、
探しものをしたって見つからない。
許可をおろせるのは自分しかいないのだから、
使命探しの前に、やることがあるんだな。
僕たちは、正解のない世界を生きている。
それが、どんなに素晴らしいことなのかを
身をもって体験していくこと自体がレクイエム。
正解を知るのは、ずっと後でいい。
僕は今、ただ
自分が歌いたい歌を、
描きたい絵を綴りたいことばを描き続ける。
自分の人生さえアートにしてしまおうではないか。
懐かしの教室で、描きなぐり続けた机を前に
「もう1度」先生に会えるその日まで。