なにか、あった時。
そうやって、「逃げ場」をつくらないで・・♪
なにか、つらいことがあった時。
いつも、同じようなパターンで落ち込む自分を知っているなら、
「一時的な気晴らし」ばかりに癒しを求めつづけないで、
一度ガツン!と、自分とまっこうから向き合ってみる^^
そこには、少し「覚悟」がいるかもしれないけどね・・![]()
でも。
「よしよし」とする・されるばかりが、愛じゃないから・・
落ち込んでる人を、そのまま「受け入れる」のは、とてもカンタン。
でも、そうすると、
次また同じようなことがあっても、
「ここへ駆け込めば、とにかく癒される♪」という暗黙のパターンができてしまう^^
そして、
自分を「超える」ことをしなくても、なんとなく自分が解決された気になって
ふたたび、歩き出せてしまう・・
でも、結局その時に「ちゃんと自分と向き合ってない」から、
また、同じパターンをくりかえすんですね^^
でまた「とにかく癒されようと、その場に駆け込む」のくりかえし・・
これが、「表面的な」癒しの副作用。
これはこれでいいという価値観もあるかもしれませんが、
ちょっと気づけば、これはぜんぜん相手のためになっていないんですよね♪
「落ち込んでるから・・」
「元気づけたいから・・・」
と、相手を包むことはとてもカンタン^^
でもそれは、こちらも「~してあげたい」のエゴと、
愛ではなく愛情からくる部分の、なせるワザ♪
本当の愛は、そんな時、
もし癒されにきても、「あえてつきはなす♪」ことも必要で、
時にきびしい、いやがられる質問だってする^^
そうして、きちんと自分とむきあって、
その課題を「超えていく」ことの方に視点をおく![]()
たとえ、それで本当にきらわれようとね♪
でもそれができることが、本当の愛なのかもしれません。
その愛に、相手が気づくか気づかないかは、カンケーない。
「落ち込んでる」のをわかってて、あえて手を伸ばさない方だって試練。
相手の「今」でなく、「その先」こそを待つ姿勢、
それが「高次の忍耐を身につけた」ともいいます。
今、自分の愛情レベルはどのくらいまで育っているのか。
無理な「がまん」は不要だけど、
相手の成長を願うがゆえの、待つ「忍耐」は、
つい手を差し伸べたくなる時ほど、もっていたいもの。
そして、1番大切な「自分」こそにもね♪
そんなふうに、自分を待てる忍耐・・
それこそ、「自分への愛」なのかもしれません。