誰かが伝えなければ。
私たちは
真実を知ることはない。
行動の是非を
問うよりも
自分が
何を 学び
何を 得ようと
しているかなんだ。
昨日
泣きっぱなしだった
このヘタレは
放射能を
恐れず 福島の
真実を教えてくれた
もうーすさん
の
記事を読み
そうだ
自分たちが
知らない世界を
教えてくれる人たちは
いつも 何かを
犠牲にして
私たちが
出来るならば
避けて通りたい
炎の中に
飛び込んでくれている。
そうだ。
国内でも そうだった・・
今だって
ずっと 福島に
通い詰めて
どうぶつたちの
いのちを繋ぎ
発信して
下さっている
人たちがいる。
問題は
それを知った
私たちが
どう捉え
どう生きるかなんだ。
そこに
人間性の分かれ道が
出来るんだ。
眠れない夜中
そんなこと
考え
今日を迎えた。
そして
さっき
ブロ友さん
が
更新してくれた
記事を読んで
その思いが
更に固まった。
読んでみてほしい
現実は
誰かが 伝えなければ
知らないで過ぎていく。
いつもそうだ。
伝えてくれる人が
居なければ 老いていくだけの
無知の人生で
終わるところだった。
知って どう生きるのか。
そして 形は
どうであれ
教えてくれた人に
感謝できる にんげんでありたい。
そんなことを
考えていた
2月のスタート。
