自分のプロフィール・ストーリーを作成してみました。
作成中は何度かくじけそうになりました。
宿題だったからできたのだと思います^^;
― 目次 ―























第一話 子供時代
物ごころついた頃から歌うことが大好きで 毎日のように床の間を舞台にして歌っていた。作成中は何度かくじけそうになりました。
宿題だったからできたのだと思います^^;
― 目次 ―























第一話 子供時代
あの頃は多くの家庭がそうだったように 私の家も三世代同居だった。
祖父母、父、母、私、そして私が5歳の時に弟がそこに加わった。
明治生まれの祖父は頭がよかったが 家が貧しかったため、
自分は学問を断念し、大八車をひきながら働いて成功し、5人いた妹たちを女学校や大学に通わせた。
そんな祖父は女性にとても人気があったようだ。
浮気は男の甲斐性と言われていた時代の名残が東京といえどもまだあって
いわゆる二号さんとか 三号さんまでいたようである^^;
その二号さんも三号さんも 家にはちょくちょく遊びに来ていたし
祖母とも旅行に一緒に行ったりしていたので
私は彼女たちを親戚の叔母さんたちだと思い込んでいた。
そういう家に嫁いできた母はどんな気持ちで毎日を送っていたのだろう?
祖母も母も感情を抑圧するのが上手だった。
表立っては我が家は平和だった。























しかし、表立って平和であってもそんな緊張感や確執は空気ににじみ出るものだ。
祖母と母から私は感情を抑圧することを学んだ。
取りみだしたり 大声で人をなじってはいけない。
そういう感情はグッとこらえて自分の中にしまいこむのだ。
なぜ?
そんなことを大人に聞いたら怒られる。
怒られるのは怖かった。
母は人前でも大声で私を叱ったから、とにかく怒られないようにすることに心を砕いた。
七五三のときの写真

私はかなり敏感な子供だったと思う。
家の中に漂う微妙な空気を感じながら
大人たちに余計なことを聴いて怒られないように彼らの顔色を伺い、
そうやって疲れ果てていた。
そして、歌が好きだった私は鬱々とした心を歌うことで発散させていた。
歌っているときだけは 私は私の世界で自由になれた。
大声で叫んでも心を高揚させても怒られることはない。
私は安全でリラックスできたのだった。
私にとって我が家は決して安全で安心な場所ではなかったのである。























私が4歳になったある日 両親は歌が好きな私を子供の「歌の教室」に入れてくれた。
週に2回 30人くらいの同い年の歌の好きな子供たちと童謡を元気に歌った。
先生が弾くピアノの旋律を五線譜の上に赤や黄色のおはじきで並べたり、
ポーンと弾かれた音を「ソ!」とか「シ!」とか当てっこするのも楽しかった。
子供の合唱は人気があってあちこちのイベントに呼ばれた。
そういうときはおそろいの白いフリルがたくさんついたサテン地のワンピースと黒のエナメル靴で舞台に立った。
キラキラ光るガラス玉は 子供にとってはダイヤモンドに思えて
その服を着て舞台で歌うことはとても晴れがましく心が躍った。























しかし、私は身体が弱く、何かというと熱を出した。
大好きな教室も二年ほど休まなければならなくなった。
その頃の私はアデノイドや中耳炎、扁桃腺炎、肥厚性鼻炎の症状に悩まされていた。
お世話になった大学病院の小児科では先生や看護婦さんで私を知らない人はいなかった。
ちょっと風邪をひくと扁桃腺が腫れあがり、それが慢性化してしまい、
扁桃腺が病原菌の巣になってしまっていて摘出しないと命にかかわるようになり、
とうとう摘出手術を受けることになったのだ。
小学校に上がり、以前ほどは熱を出さなくなった私は再び歌の教室に通い出した。
ところが、教室に戻ったら30人ほどいた同級生はほとんどやめてしまっていた。
年齢が上がるにつれレッスンがどんどん高度になったのである。
私が通っていた教室は 今でいうエリート校だったのだった。
#や♭がたくさんついたソルフェージュや先生がババババ・・・と弾いたメロディを書きとるデクテーションなどのレッスンに、
家にピアノなんてなかった私は予習も復習も満足にできるわけがなく、完全な落ちこぼれとなる。
そうなるとレッスンは楽しいどころか恐怖と苦痛でいっぱいになる。
時計の針を一時間進ませて教室をさぼったりするようになった。
それでも1年近く通っただろうか?
ある日のこと母は先生に呼ばれた。
「お嬢さんは鼻も悪いし、リズム感がないから音楽家は無理です。そういう子に音楽の勉強を供用するのは可哀そうです」
しかし、劣等生であっても歌は大好きだったのでそのことを母から聞いた時、私はショックを受けた。
でも、先生がそういったのならしかたない。
感情を隠すのは当たり前だったから、泣きわめくことはしなかったが、
大きくなったら歌手になりたいという子供らしい夢はその瞬間つぶれた。
私は才能がないのだ。歌手になんかなれない、
いや、私のような人間は歌手になってはいけないのだ!
続く


