新しいことに進もうとする時、
前に進もうとする時、
ああなったらどうしよう

こうなったらどうしよう

と、色々などうしようを考えては踏み出せなくていた。
選んだ先にあることを勝手に想像しては、ああなるかも、こうなるかもと、不安ばかりが頭をよぎって、益々踏み出せなくていた。
色々な展開を想像した末に、自分が想定した最善の道を選んで進んでいた。
石橋を叩いて叩いて、それでも怖くて、橋を、その橋を選んだ自分を信じ切ることができず、恐る恐る進んでいた。
恐る恐る進んでいたから、だいたいは進んだ道の先に壁があって、
「やっぱり、そうなると思っていたんだよね」と、不安が的中した。
「あんなに色々な展開を想定したのになんで壁があるの?」とその道を恨んだ。
「どうしてこの道を選んだんだろう…」と、自分を責めた。
そして、益々進むことが怖くなって、
益々自分のことが信じられなくなった。
そんな、先に進むのが怖い気持ちの奥にあったのは、「失敗するのが怖い自分」。
失敗するのが怖いから、選ぶのが怖い。
失敗するのが怖いから、先に進めない。
失敗するのが怖いから、一歩が踏み出せない。
失敗するのが怖いから、自分の知っている安全な道だけを進んでいた。
失敗するのが怖いから、自分の可能性をつぶして、見ないようにした。
じゃあ、なぜ、失敗が怖いのか?
それは、「できない自分を見たくないから」。
…どんだけ自分、できると思ってんだ?って感じだけど。
でも、そんな自分に気づいた最近。
自分をできないと思いたくないなら、できないと思ってみよう。
失敗が怖いと思うなら、失敗してもいいと思ってみよう。
この前の初級セミナーで学んだ、心屋で言うパターン崩し。
どうせ、私はできなくても愛されてるし。
どうせ、私は失敗しても大丈夫だし。
そう、何度もつぶやいてみた…
そしたら、何だか、失敗への恐怖感が薄らいだ。
失敗しても、死ぬ訳じゃないし。
失敗しても、罰せられないし。
失敗しても、またやり直せばいいし。
失敗しても、家族はそのままそばにいるし。
そう、思えた。
失敗しても、私、何も変わらないんじゃないかな。
…でも、そもそも、失敗って、なんだ?
私にとっての「失敗」は、選択を大きく間違えること、挫折すること。
もしそうだとしたら、
選択を大きく間違っても、また、選択し直せばいい。
挫折しても、また立ち上がればいい。
まわり道になるかもしれないけれど、時間がかかるかもしれないけれど、最終的に自分の欲したゴールがあれば、それでいいんじゃないかな。
そう、思えた。
…そしたら、
実は、失敗なんてないんじゃないかな。
そんな風に思えてきた。
失敗しても、違う選択肢が見つかるかもしれないし。
失敗しても、更にいい方法が見つかるかもしれないし。
失敗しても、そこまでやってきたことは自分の中に残ってるし。
そう考えたら、躓いても、道を間違っても、それは失敗ではなくて、自分にとって必要なこと。
そう思えたら、失敗がなんだか怖くなくなった。
そもそも、失敗なんてないんだ。
全部、自分に必要なことなんだ。