7/15放送回の感想を含みます。

 

グラントリノの元で、ワン・フォー・オールの使い方を自分のものにする為に鍛えるデク君。

考察と分析も重ねての訓練で、なんとか様になってきてます。

闘い方への光が見えた ということで、デク君のこれからのスタイルが定まってきそうで、とても楽しみだあ~。

 

一方で、死柄木弔はヒーロー殺しのステインを仲間に勧誘・・・するはずが、逆に殺されかけてる。

何事にも、「信念」を大事にするステインに、死柄木は「信念がない」と厳しい評価を下され、粛清対象に。

それでも、いびつな信念の芽が宿ってることを見出され、交渉成立という運びになったようです。

再び、保須市に戻されるステインと、何か企む死柄木弔。

不穏な空気です。

 

それにしても、今回はいろんなヒーローが出て来て、これで良いのか~って思えて来る。

グラビア撮影するヒーローやら、接客に対する説教するヒーローやら、風紀指導をするヒーローやら・・・なんだかな~。

 

「ヒーローとは、偉業をなした者のみに許される“称号”」

「多過ぎるんだよ・・・英雄気取りの拝金主義者が」

と、ステインのセリフは、とても正論に聞こえるんだよね。

あまりにもいろんなヒーローが居過ぎて、本当の意味での《ヒーロー》がいなくなってる感じなんだよ。

 

そりゃ。悪党になるよりヒーローの方がマシだろうし、生きていくうえでの職業「ヒーロー」としてお金を稼ぐのもありなんだろうと思うけど。

あまりにも、ヒーローがアイドル化してきてる印象なんだよね。

 

でも、「偉業をなした者にのみ与えられる」というけれど、それには「機会」が恵まれなければならないし、その「機会」を待つために「待機」しなければならない。

それを合法的にお金を稼ぎながら、待つというのが、そこの世界のシステムなんでしょうね。

しかし、「偉業」をなすのが先か、職業としての「システム」が先か、と矛盾した感じになってるのが気になる。

その「ヒーロー社会」のシステムに、意義を唱えて、気付かせたいと考えてるのが、ステインさんなんだろうね。

 

とんでもない悪党だし、殺人者だけれど、一本筋の通った信念を持ってるステインさんカッケ―!と思っちゃうんだよね。

この人視点で見る世界は、どんなんだろうって思ってしまう。

危険かな~。

 

特訓を積むデク君は、フェーズ2ということで、いきなり敵退治ということで行くことに。

新幹線で都会に行く予定が、その道中で怪物が襲撃。

緊急停止する新幹線とパニックになってる街。

緊迫する展開に、これからどうなる?!というところで、今回の話は終わり~でした。

 

アップが遅れましたが、今回はこれまで~。

 

また、語りたいです。

 

 

7/8放送分の感想も入ってます。

 

デク君達の職場体験編が始まりました。
雄英生徒たちが、それぞれにヒーロー事務所へと赴き、ヒーロー体験という仕事を身にもって経験してくるという課外授業のようです。


いやしかしそれにしても、職場体験って早過ぎでないか気がしてしまうのだけれど。
現実のほうにでも、仕事先に中学生達が「仕事体験」としてやって来てることもあったので、こういうのは珍しいことではないのかもしれない。
でも、高1の1学期となると、まだ学校に馴染んでないだろうし、もっと基礎的なことを学んでからでもいいんじゃないの?と思ってしまうんだけどね。

 

しかし、見方を変えるなら、デク君にワン・フォー・オールをちゃんと扱えるようにさせたい、習得させたいという展開からの発想かもしれない。
いつまでも、個性発揮する度に骨折バキバキで身体壊させてちゃ、話にならないですもんね。

師匠であるはずのオールマイトは、教師に向かないらしく教え下手らしい。
ならばと、かつて鍛えてくれた恩師に登場させる、というのは、ある意味正解ですね。
古今東西、物語の主人公を成長させてくれる《師匠》的な存在は、知恵も力も持った「老人」というのは、定石ですからね。
「ドラゴンボール」の亀仙人、「スター・ウォーズ」のヨーダ、のような。
そういう存在に出会わせて、根本的なところから主人公を鍛えていく、という計算でしょう。
その為にも、早くても「職場体験」ということを実行させたのかも。
とか考えてしまいました。

 

で、デク君が訪れたグラントリノという人物、かなりの高齢でボケが始まってるのかと思いきや、さすがオールマイトを震え上がらせるほど鍛えた実績は伊達じゃない。
ボケているようで若い者に負けない実力を持ち、力的にも技術的にもデク君を翻弄することに。
しっかりと問題点を指摘し、改善の為のヒントも干渉し過ぎない程度に教えている。
教育者としてもかなりの適任者。
デク君は良い指導者に巡り会えたようです。

 

ってか、この回はやはり「教育論」「教育者として」ということが、焦点になっていたように感じる。
デク君と並行で、やがて敵対するであろう死柄木弔が、「先生」と呼ばれる人物から何やら語られていたし。
「すべてを教えるのが教育ではない。自分から考えさせるのも教育だ」
と、双方向で「教育」による導きを行われようとしていく。
また、かっちゃんこと爆豪くんも、精神論的な「教育」が施されようとしている。
教育者が「何」をどのように教えるか、被教育者が答えを見つけられるか、というところが隠れテーマだったのではと思えてきます。

 

そうした試行錯誤があって、デク君は電子レンジのたい焼きからヒントを得て、体の一部にではなく全身に力を張り巡らす方法を思い付く。
「思考は柔軟にフラットに」
上手い具合に、答えを導き出せて、大きな一歩へ。

学校だけでは見つからない、環境を変えたからこそ見つかる「答え」。
その為の「職場体験」だったのだろうね。

 

デク君の頭の良さと可愛さが見れて、満足の回でした。

 

また、語りたいです。

 

「エロマンガ先生」というアニメを観ていると、「ラノベ作家ってこんなに簡単になれるものなのか?」と疑問を抱いてしまう。

いや、そんな筈はないだろう・・・と思っちゃうんですけどね。

 

「エロマンガ先生」は、ラノベ作家の兄と、引き籠りでイラストレーターの妹、が中心の物語。

二人は、両親の再婚によって家族となった血の繋がらない兄妹。

お互いに好意を持ってるのに、「家族だから」と我慢しちゃってるのだ。

そんな二人を中心に織りなすラブコメディ。

 

で、タイトルの「エロマンガ先生」とは、妹がイラストレーターとして活動してる時のペンネームなのだ。

なんてペンネームを付けるんだよ、人に紹介する時に恥ずかしくなるじゃないか。

この妹、内気で恥ずかしがり屋で、女の子としても可愛い部類で、シャイで華奢な美少女なのに、なんで自身のペンネームに「エロマンガ先生」なんてつけるのかマジ分からん。

まあ、エロい女の子のイラストを得意としてるところと、意外性からかもしれないけど。

 

そこよりも、私が観ていて疑問に思ってしまうのは、兄のほうが簡単にラノベ作家になれてる、という点だ。

「簡単に」というと本当には違うのかもしれないが、話的には「簡単になれた」と思えて仕方ないんだ。

しかも、この兄はまだ高校生で、引き籠りの妹の食事を毎度作ってるという万能振り。

「目指してる」とか「作家志望」とかのアマの段階ではなく、シリーズものの文庫本を発行させている。

そんなバリバリ現役の作家に、DKが簡単になれてる、というのに違和感を感じてしまうのだ。

 

更には、ライバルとして現れるラノベ作家達も皆若い。

ツンデレ系の女王様気質の美少女作家やら、和服美女系の作家やらが、ライバル宣言しつつ、兄に迫るというハーレム状態。

 

君達いつ原稿書いてるの~?と問いたくなる。

それでありながら、ほぼ数日で原稿を上げてるという優秀ぶり。

彼らにはスランプというものがないのか、書きたくても書けないという焦燥感に悩んだことはないのか、自身の文章力や表現力に頭を痛めたことはないのか?

文庫本発行も、「順番」で悩んでいても、締切日や内容とかで悩む様子はない。

作家として優秀で才能が溢れてるのか、「創造」すること自体には悩んでないようだ。

 

そこを羨ましいと思うと同時に、リアル感を感じないんだよな。

ラノベ作家といえども、「創造」するには「生みの苦しみ」ってものがある筈なのに、そこがない。

もっと、苦しんでくれたら、共感するところもあるんだろうなと思うんだけれどね。

 

そう思うのも、今の自分が思うように文章が書けないからだろうな。

書きたいけど書けない、気分が乗らない。

文章力に自信がない。

それでも書きたくてもがいてる。

そんな中でアニメで観たラノベ作家に嫉妬しちゃってるだろうな。

 

まあでも、アニメ自体は面白いし、兄と妹の関係性も気になる。

兄のラノベ作家活動もどうなるか気になるよ。

 

さあ、どうなるのかな。

 

また、語りたいです。

 

 

 

 

「僕のヒーローアカデミア」6/24放送分感想も含んでます。

 

《デク》というのは、主人公・出久(いずく)くんのあだ名ですが、本編においてその名で呼んでるのは、
名付け親である幼馴染のかっちゃんこと爆豪くんと、
高校から仲良しになったクラスメイトの女子・麗日お茶子ちゃん だけなんですね

 

出久が「デク」と読めるのと、無個性で何も出来ない「木偶の坊」的な意味で付けられた蔑称でした。
その呼び名を嫌がってただけれど、お茶子ちゃんは「『デク』って頑張れって感じで好きだ」と言ったんです。
それは出久くんにとってはコペルニクス的発想の展開で、嫌だった名前も素敵な名前に変わって感じられたのでしょうね。

 

この日の放送の話では、ヒーローネームをそれぞれ考案するというものでした。
いろいろ考えて、出久くんが付けた自分のヒーローネームは《デク》。
訝しがる皆に彼は、
「今までこの名前は好きじゃなかった。
けど、ある人に“意味”を変えられて、僕には結構な衝撃で・・・嬉しかったんだ」
と、説明。

 

「何も出来ない木偶の坊」ではなく「頑張れって感じの」《デク》になることを決意したんだね。

名前の“意味”を変える、というより、“上書き”したって感じですね。

 

“意味”を変えれるって、凄いこと。
それも、マイナスからプラスへの変化だ。
「嬉しかった」と思わせてくれる言葉。
それを与えてくれる人に恵まれた幸運。
それって、素敵なことなんだなあって、思うんですよね。

 

それを発表した時に、「はあ?」という顔をした爆豪くんと、嬉しそうな顔をしたお茶子ちゃんのアップ。
出久くんが《デク》という名でヒーローを目指すとするなら、名付け親と“意味”を変えた人のこの2人の存在感はどうしても注目していかなければならないのかもね。

 

「人に恵まれた」と言ってたけど、いろんな意味で「変えてくれる」人に恵まれたこと、そういう縁を持っているデク君って凄いなあって思うんだよ。

 

次回は、一週休んで新章突入らしいですね。
楽しみだあ~。

 

また、語りたいです。

 

「僕のヒーローアカデミア」6/17放送「轟VS爆豪」への感想です。

 

体育祭決勝戦での対決ということで、盛り上がるかなと思いきや、ちょっと消化不良の感じでした。

緑谷VS轟戦での迫力に比べたら、かなり落ちるというか…そこを比較するがいけないのかな。

 

何が違うんだろうな。

轟くんの本気を出させたデク君と、出させなかっ爆豪くん。

どちらも、本気で全力で相手に向かってきてたのにね。

 

対緑谷戦で、力使いきって満足しちゃって、後はどうでもいいや~というようにしか見えない。

あれじゃあ、爆豪くんが暴れるのも無理ないかなぁ。

 

思うに、目指してるもの、目標にしてるものが違っていたのかも。

轟くんにとっては、トップや頂点がどうというより、まだ《スタートライン》にすら立ってなかったのだろう。

その《スタートライン》に立つために、いろいろともがいていたのでしょうね。

 

体育祭前に、デク君にだけ宣戦布告したり、家庭の事情を打ち明けたりと、待遇が他の者と違っていた。

オールマイトに通ずる「何か」を持ってるらしいと、それだけの理由でデク君に照準を合わせての行動してきた。

それは轟くん自身に、「変えたい・変わりたい」という気持ちがあったのかな?とも思えてきます。

 

せっかくの決勝戦に、心ここにあらずな闘い方だったのは本当に残念。

でも、ぶっ壊された価値観を再構築するために、「先に清算したい」という気持ちが強かったんだろうね。

大好きだったお母さんを助け出すこと、それが轟くんにとってのヒーローになる為の《スタートライン》ということなんでしょうね。

 

ラストでは、デク君も「心配させないための、僕なりの《スタートライン》」なんて言ってましたね。

この回の隠れテーマは《スタートライン》だったのかな。

ってか、デク君の「頑張れ!負けるな!!」のコールに一瞬だけ左(炎)を使おうとした轟くんには、あれれ~と思っちゃったよ。(*´ω`*)

 

二期では、すっかりギャグキャラのようになった爆豪くんだけど、彼も、「これから」なんでしょうね。

 

また語りたいです。