「まあ、下品(げひん)な人ね。それに比べて、あの人は上品(じょうひん)ね」などと、「品」に上下を付けて私たちは、人の品性を評価します。言葉づかい、立ち居振る舞い…全てにおいて、上品で見られようと心がけます。
仏道では「下品」を「げぼん」、「上品」を「じょうぼん」と読みます。そして、上下と来たら…はい、お察しのように、その真ん中に「中品(ちゅうぼん)」があります。これは『観無量寿経』という書物に出てくる「九品往生(くほんおうじょう)」の教えからきている言葉です。
生前の行いから人間を「上品・中品・下品(じょうぼん・ちゅうぼん・げぼん)」の三つに分け、それぞれをさらに往生の段階があるとしました。例えば「上品」は「上品上生・上品中生・上品下生(じょうぼんじょうしょう・じょうぼんちゅうしょう・じょうぼんげしょう)の三つに分かれ、中品・下品も同様に分かれ、全部で「九品」の往生の段階があります。一見すると、九段階の優劣と見えないではありません。
この説を「苦悩する凡夫のためのもの」として解釈したのが善導です。善導は、人間全体を凡夫として捉えました。九品の往生の差は、人の優劣ではなく、出遇った縁による生き方によると解釈したのです。
大乗の教えに出遇った人、小乗の教えに出遇った人、仏道によらない世間善に出遇った人、悪い縁にしか出遇えなかった人の違いで、すべての人が凡夫であると「九品唯凡」を説きました。
そして、一生の間に悪縁にしか出遇えなかったために、ひとつの善も行わず悪を重ね、悔い改めることもない「下品下生(げぼんげしょう)」の人をこそ救うのが仏教であるとしたのです。
上品か、下品か。うわべで人を見ることなく、全ての人は凡夫であると謙虚に暮らしたいものです。そして、機縁に出遇えたならそのことに感謝する日々を送りたいものです。
仏道では「下品」を「げぼん」、「上品」を「じょうぼん」と読みます。そして、上下と来たら…はい、お察しのように、その真ん中に「中品(ちゅうぼん)」があります。これは『観無量寿経』という書物に出てくる「九品往生(くほんおうじょう)」の教えからきている言葉です。
生前の行いから人間を「上品・中品・下品(じょうぼん・ちゅうぼん・げぼん)」の三つに分け、それぞれをさらに往生の段階があるとしました。例えば「上品」は「上品上生・上品中生・上品下生(じょうぼんじょうしょう・じょうぼんちゅうしょう・じょうぼんげしょう)の三つに分かれ、中品・下品も同様に分かれ、全部で「九品」の往生の段階があります。一見すると、九段階の優劣と見えないではありません。
この説を「苦悩する凡夫のためのもの」として解釈したのが善導です。善導は、人間全体を凡夫として捉えました。九品の往生の差は、人の優劣ではなく、出遇った縁による生き方によると解釈したのです。
大乗の教えに出遇った人、小乗の教えに出遇った人、仏道によらない世間善に出遇った人、悪い縁にしか出遇えなかった人の違いで、すべての人が凡夫であると「九品唯凡」を説きました。
そして、一生の間に悪縁にしか出遇えなかったために、ひとつの善も行わず悪を重ね、悔い改めることもない「下品下生(げぼんげしょう)」の人をこそ救うのが仏教であるとしたのです。
上品か、下品か。うわべで人を見ることなく、全ての人は凡夫であると謙虚に暮らしたいものです。そして、機縁に出遇えたならそのことに感謝する日々を送りたいものです。