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 技術の進歩にはめざましいものがあります。私たちの先祖は未開の荒野を開き、種を蒔き、定住し、そしてその地に文化を築き上げてきました。人の手が入っていない痩せた土地を最初に開拓したフロンティア精神には学ぶことも多いもの。高度成長期には、日本中のあちこちで「開発」が行われてきました。
 水たまりができるような地面はどんどんなくなり、舗装道路が敷き詰められていきました。
 もっときれいに、もっと広く、もっと高く、もっと便利に、もっと合理的に。「もっと」を目指す日本は、国家プロジェクトを次々に立ち上げました。

 そしていま。集客や活用がうまくいかず、閑古鳥が鳴いている施設も多く見受けられます。


 仏教でいう「開発」は「かいほつ」と読みます。仏を信じる心が起きること、真実の知恵や道理を悟ることを示しています。
 これで良かったのか。本当に公共の幸福を考えて作られたのか。そうした視点で「開発」(かいはつ)の現場を見つめれば、真実が見えてきはしないでしょうか。

 自国の開発を終えたら、次はアジア。そこに暮らす人々にとって、本当に幸せな開発とは何か。先進国がおいしいコーヒーを飲みながら、原産国では学校にも行けない子供たちが農薬の被害に苦しみながら農作業に従事しているなら、それは本来の開発とは言えません。
 人としての尊厳に目覚め、心豊かに暮らせるように手をさしのべる。彼ら自身が自ら気づき、目覚め、自立して生きていけるようにすることが本物の支援です。 
 そう考えれば「開発」(かいほつ)という言葉には「開発」(かいはつ)本来の意味が凝縮され、私たちの未来を照らし出す尊い意味が込められているのです。

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