←クリックをお願いします。木蓮は子供の頃は、いえつい最近まで本当に不信心でした。
他の方からすると、寺院に生まれたらさぞ信心深い子供が育つと思われるでしょうが、全くそんなことはないのです。
それどころか、逆です。
小学校で新学期に親の職業を書く欄があると、いつも「自由業」と書いて出すのですが、先生にいつも「僧侶」とか「住職」とか書き直されてしまうのです。
門徒さんのおうちでは小さな子供までちゃんと手を合わせて、小さな頃の木蓮よりよほど偉いなあと思うのです。
それでもなぜだか、最近になり、親鸞上人の教えは今更ながらにすごいなと思います。
そして自然に手があわさります。
南岳は木蓮に「お経を読むよ。さあ一緒に座りなさい」とも何とも言いませんでした。
礼拝を無理強いせず、ただ毎日、自分で手を合わせるだけでした。来る日も来る日も。誰より早く起きて、境内を掃き、読経をしていました。
今では境内には砂利がしかれ、毎日はきはしませんが、それでも読経は何十年間、一日たりとも休まず。
内火行煙。
こういうのだそうです。
親鸞聖人もまた、念仏を無理強いしなかったそうです。
内側に高めて高めて、その高まりが外ににじみ出るようなそんな姿です。
内に蓄えている火があれば、自然と煙が洩れ、立ちのぼる。
全ては、内なる信心の高まり。
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